『ジェントルマン』(山田詠美)_書評という名の読書感想文

『ジェントルマン』山田 詠美 講談社文庫 2014年7月15日第一刷

ジェントルマン (講談社文庫)

 

第65回の野間文芸賞受賞作です。

【漱太郎という存在を「ジェントルマン」と名指すことによって、一般的に思われているジェントルマンが形ばかりのものにすぎないことを、この作品は暴いた。さらに、漱太郎の欲望をつぶさに描くことで、ジェントルマンという言葉に新たな命を注ぎ、生まれ変わらせる。
いったん、その言葉が内容のない空虚なものであることを見せて葬り去っておいて、今度は生々しいものへと蘇らせるのだ。】(星野智幸の解説「ジェントルマン以後の世界」より)

山田詠美にしか書けない小説、の代表的な作品です。ひょっとするすると語り手である〈夢生〉が〈男性なのに男性しか愛せない〉所謂LGBT(=性的少数者)に属する人物であることに抵抗感がある方がいるかも知れませんが、それはこの小説の本質ではありません。
・・・・・・・・・・
夢生が坂井漱太郎と関わりを持つことになるのは、高校2年の1学期も終わりに近い頃です。その頃すでに漱太郎の存在は際立ったもので、学内で知らない者はいません。眉目秀麗、文武両道、しかも弱きを助け、強きをくじく、漱太郎は、完全無比な青年でした。

女生徒はもとより、彼は同性からも好かれます。誰よりも秀でているのに、馬鹿もやれる話せる奴として親しまれます。そして、それがますます女たちの好感度を上げます。ほんの少し自分を貶めて笑わせるという術を習得して、非の打ちどころがありません。

目立たない生徒への心配りにも抜かりがない漱太郎に感心する一方で、夢生は、それを余計なお世話だと思っています。善意の塊にみえる漱太郎に対して、夢生は少しひねくれた傍観者でいる自分を楽しんでいます。しかし、決して悪意があるわけではありません。

夢生の他にもう一人、漱太郎にシニカルな視線を送る女生徒がいます。藤崎圭子は、夢生が掬い取った匂いと同じものを漱太郎に感じています。2人はすぐに(恋人ではなく)親友となり、その関係は大人になるまで続きます。
・・・・・・・・・・
夢生と漱太郎の関係を決定付けた出来事は、同時に夢生をひどく興奮させる出来事でもありました。漱太郎が隠し持っていた意外性に、夢生はその場を離れることができません。

台風が近づく、夕方の暗い茶室でのことです。漱太郎が、今まさに華道部の顧問である村山先生を犯そうとしています。抵抗する村山先生を押さえ付け、漱太郎はベルトのバックルを緩めようとしています。助けを求めて先生は叫びますが、外には届きません。

障子の手前で漱太郎の声を聞いた瞬間、夢生のすべての感情がどこかに連れ去られてしまいます。残ったのは、ただ見届けたいという欲望だけです。女を犯すという卑劣な行為は漱太郎に汚点を与え、それ故に、夢生の気をそそって止むことがありません。

隠されていた道徳の汚れ。男のそれほど、夢生の心を疼かせるものはありません。半開きになった口。そこから滲み出た唾液が唇を濡らし、いつもの品のある口許に下卑た化粧を施している漱太郎の顔を見るのは自分ただひとり。その思いが、夢生を歓喜で包みます。
・・・・・・・・・・
夢生が漱太郎の〈告解の奴隷〉となる経緯が綿々と語られた後、時は一気に20年後へ飛びます。漱太郎は大手の銀行員となり、親の勧めに従って見合い結婚し、2人の子どもがいます。世に言う順風満帆で、彼はますます紳士然とした風貌になっています。

しかし、これはあくまで表の顔、漱太郎の〈ジェントルマン〉としての顔です。夢生が、家族を愛している? と聞くと「人が家族を愛するようには愛しているよ。でも・・」

「おれが愛するようには、愛していない」と、続けるのでした。漱太郎が心から求める愛の形は歪で、時に暴力に取って代わります。昔から鍵穴をこじ開けるのが大好きだったと、漱太郎は無邪気に言います。夢生の心に、漱太郎が描くシュールな世界が広がります。

漱太郎がそつない態度を取れば取るほど恐くなる、と圭子は言います。彼女が感じるのと同じ気配を夢生も感じています。圭子はそんな漱太郎を恐れ、一方の夢生は、その得体の知れない気配に欲望を掻き立てられています。夢生は、漱太郎に惚れているのです。

漱太郎の悪魔のような本性、天性のエゴイストの善悪を弁えない振る舞いに魅入られた夢生は、ひたすら漱太郎からの愛の施しを待ち焦がれています。夢生は、漱太郎の罪を知るただひとりの人間として彼を愛し、守り抜こうと心に誓っています。
・・・・・・・・・・
形こそ歪ですが、夢生が抱く恋情は真性で、どこまでも純粋です。それに比べ、漱太郎の人格は複雑です。善人の仮面を纏った極悪非道の男として片づけてしまうのは、何やら早計な気がします。漱太郎ほどではないにせよ、似たような奴は結構いるんじゃないかと。

いや、そもそも漱太郎は善人の〈ふり〉をしていたわけではなく、日常では正真正銘の善人なわけです。一々意識しなくとも、自然に人を気遣い、人に優しくできる人間なのです。圧倒的に周囲の人々から支持される、模範的な人間であることには違いないのです。

〈ジェントルマン〉とはどのような人物を指して言うのか、この小説を読むと、これまでのイメージが限りなく曖昧で頼りないものに思えてきます。漱太郎が備え持つ二面性には、人間が背負わされた底知れぬ罪が隠れているように思えてならないのです。

 

この本を読んでみてください係数  85/100


ジェントルマン (講談社文庫)

◆山田 詠美
1959年東京都板橋区生まれ。
明治大学日本文学科中退。

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
おかげさまでランキング上位が近づいてきました!嬉しい限りです!
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『十字架』(重松清)_書評という名の読書感想文

『十字架』重松 清 講談社文庫 2012年12月14日第一刷 十字架 (講談社文庫) &

記事を読む

『テティスの逆鱗』(唯川恵)_書評という名の読書感想文

『テティスの逆鱗』唯川 恵 文春文庫 2014年2月10日第一刷 テティスの逆鱗 (文春文庫)

記事を読む

『続・ヒーローズ(株)!!! 』(北川恵海)_書評という名の読書感想文

『続・ヒーローズ(株)!!! 』北川 恵海 メディアワークス文庫 2017年4月25日初版 続

記事を読む

『慈雨』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『慈雨』柚月 裕子 集英社文庫 2019年4月25日第1刷 慈雨 (集英社文庫) 警察

記事を読む

『殺戮にいたる病』(我孫子武丸)_書評という名の読書感想文

『殺戮にいたる病』我孫子 武丸 講談社文庫 2013年10月13日第一刷 新装版 殺戮にいたる

記事を読む

『スメル男 (新装版)』(原田宗典)_書評という名の読書感想文

『スメル男 (新装版)』原田 宗典 講談社文庫 2021年1月15日第1刷 スメル男 新装版

記事を読む

『ざらざら』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『ざらざら』川上 弘美 新潮文庫 2011年3月1日発行 ざらざら (新潮文庫) &nb

記事を読む

『祝福の子供』(まさきとしか)_書評という名の読書感想文

『祝福の子供』まさき としか 幻冬舎文庫 2021年6月10日初版 祝福の子供 (幻冬舎文庫

記事を読む

『千の扉』(柴崎友香)_書評という名の読書感想文

『千の扉』柴崎 友香 中公文庫 2020年10月25日初版 千の扉 (中公文庫) 五階

記事を読む

『純子』(赤松利市)_書評という名の読書感想文

『純子』赤松 利市 双葉社 2019年7月21日第1刷 純子 四国の辺鄙な里に生まれた

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『わたしの本の空白は』(近藤史恵)_書評という名の読書感想文

『わたしの本の空白は』近藤 史恵 ハルキ文庫 2021年7月18日第

『太陽と毒ぐも』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『太陽と毒ぐも』角田 光代 文春文庫 2021年7月10日新装版第1

『夏の終わりの時間割』(長岡弘樹)_書評という名の読書感想文

『夏の終わりの時間割』長岡 弘樹 講談社文庫 2021年7月15日第

『スイート・マイホーム』(神津凛子)_書評という名の読書感想文

『スイート・マイホーム』神津 凛子 講談社文庫 2021年6月15日

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ)_書評という名の読書感想文

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』ブレイディみかこ 新潮

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑