『百花』(川村元気)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/09 『百花』(川村元気), 作家別(か行), 川村元気, 書評(は行)

『百花』川村 元気 文藝春秋 2019年5月15日第1刷

あなたは誰?
息子を忘れていく母と、母との思い出を蘇らせていく息子。
ふたりには忘れることのできない “事件” があった -- 。
現代に新たな光を投げかける、愛と記憶の物語。

大晦日、実家に帰ると母がいなかった。息子の泉は、夜の公園でブランコに乗った母・百合子を見つける。それは母が息子を忘れていく日々の始まりだった。

認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら、泉は母との思い出を蘇らせていく。ふたりで生きてきた親子には、どうしても消し去ることができない出来事があった。母の記憶が失われていくなかで、泉は思い出す。あのとき 「一度、母を失った」 ことを。泉は封印されていた過去に、手をのばす -- 。

現代において、失われていくもの、残り続けるものとは何か。
すべてを忘れていく母が、思い出させてくれたこととは何か。
(文藝春秋)

例えば、身内の誰かが認知症になったとして、息子や娘、孫であるあなたが、その人から 「あなたは誰ですか? 」 と訊かれたとしたらどうでしょう? その時あなたは、自分が血を分けた肉親であるということを、どうやって相手に伝えるのでしょう。

それがあなたの祖母だったとして、「名前を言って、職業を言って、それだけで自分を証明できるんだろうか。祖母が自分のことを忘れてしまったら、われわれの間柄は親族と呼べるのだろうか」 - 著者がこの小説を書いたのは、そんなアイデンティティ・クライシスを実際に体験したことが一つの大きなきっかけだったと述べています。

▮ 祖母が幸せそうで、うらやましいと思えた

- 小説の中では主人公の母親について、多くの記憶がなくなっていく一方で、一部の記憶がより鮮明になっていく様子が描かれています。

これもやっぱり、祖母から得た気づきが影響している。僕の祖母は若い時、奔放に恋愛をする、けっこう激しい女性だった。そんな祖母が認知症になってから、そういう恋の記憶がものすごくクリアになって、どんどん若返っていくようだったのが、すごく印象的だった。要するに、本人が最後にしがみついている記憶って、余計なものが削ぎ落された、その人そのもの、中心なんじゃないかと思うようになった。

かたや僕は、連絡先やスケジュール、思い出の写真も全部クラウドに上げて、自分のメモリーを何もかもこぼさないように生きている。でも、どれが本当に大事なものか正直よくわからない。そんな自分からは、記憶が抜けていく、非常に大事なものだけになっていく祖母が幸せそうで、うらやましいとさえ思えた。この物語の最後にある “どんでん返し” も、忘れていく母が最後まで覚えていることがキーワードになっている。(東洋経済新報社のインタビュー記事より 2019.5.18 )

個人的に強く印象に残ったのは、母の介護と並行して語られる、泉と、泉の妻・香織が体験する 「妊娠と出産」 に至る過程の描写です。子供が生まれ、二人はある “確かな何か” を感じ取ります。

香織が妊娠したとわかった当初、二人が二人して、実のところは喜びよりもむしろ不安と戸惑いの方が大きかったのでした。

泉は、ある “特殊な” 過去を抱えています。加えて、彼は生まれてこの方自分の父親に出会ったことがありません。どこで何をしている、どんな人物なのかを母から聞いたことがありません。彼は、自分が父親になる資格があるかどうかがわからないでいます。

香織は職場の誰もが認める “仕事ができる” 女性で、彼女自身にもその自覚があり、妊娠したと知れた時、正直嬉しくなかったのでした。今まで頑張ってきて、積み上げてきた実績や人間関係があり、ようやく面白くなってきたのに、それを誰かに取られてしまうのではないかと。何より、私はこのまま働けるのだろうかと。

八月二十七日のことでした。体重は三四七〇グラム。予定日から三日遅れの出産でした。泉と香織の間に男の子が生まれ、ひなたと名付けられます。

ひなたが生まれて五ヶ月ほどが経ち、迎えた正月。泉は、息子が生まれても、元日は母と二人で過ごすと決めています。それが数少ない、泉と母との言葉にしない約束だったからです。その六日後のことでした。母が眠るように亡くなります。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆川村 元気
1979年横浜生まれ。
上智大学文学部新聞学科卒業。

2001年東宝入社。映画プロデューサー、絵本作家。映画「電車男」「告白」「悪人」「モテキ」「君の名は。」「怒り」等を制作。著作「世界から猫が消えたなら」「四月になれば彼女は」「仕事。」「理系に学ぶ。」「億男」絵本「ティニーふうせんいぬのものがたり」「ムーム」等

関連記事

『花の鎖』(湊かなえ)_書評という名の読書感想文

『花の鎖』湊 かなえ 文春文庫 2018年8月1日19刷 両親を亡くし仕事も失った矢先に祖母がガン

記事を読む

『望郷』(湊かなえ)_書評という名の読書感想文

『望郷』湊 かなえ 文春文庫 2016年1月10日第一刷 暗い海に青く輝いた星のような光。母と

記事を読む

『ポラリスが降り注ぐ夜』(李琴峰)_書評という名の読書感想文

『ポラリスが降り注ぐ夜』李 琴峰 ちくま文庫 2022年6月10日第1刷 レズビア

記事を読む

『密やかな結晶 新装版』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『密やかな結晶 新装版』小川 洋子 講談社文庫 2020年12月15日第1刷 記憶

記事を読む

『舞台』(西加奈子)_書評という名の読書感想文

『舞台』西 加奈子 講談社文庫 2017年1月13日第一刷 太宰治『人間失格』を愛する29歳の葉太

記事を読む

『ちょっと今から仕事やめてくる』(北川恵海)_書評という名の読書感想文

『ちょっと今から仕事やめてくる』北川 恵海 メディアワークス文庫 2015年2月25日初版 こ

記事を読む

『僕の神様』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『僕の神様』芦沢 央 角川文庫 2024年2月25日 初版発行 あなたは後悔するかもしれない

記事を読む

『断片的なものの社会学』(岸政彦)_書評という名の読書感想文

『断片的なものの社会学』岸 政彦 朝日出版社 2015年6月10日初版 「この本は何も教えてくれな

記事を読む

『ふたり狂い』(真梨幸子)_書評という名の読書感想文

『ふたり狂い』真梨 幸子 早川書房 2011年11月15日発行 『殺人鬼フジコの衝動』を手始

記事を読む

『今昔百鬼拾遺 河童』(京極夏彦)_書評という名の読書感想文

『今昔百鬼拾遺 河童』京極 夏彦 角川文庫 2019年6月15日再版 昭和29年、

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『エンド・オブ・ライフ』(佐々涼子)_書評という名の読書感想文

『エンド・オブ・ライフ』佐々 涼子 集英社文庫 2024年4月25日

『アトムの心臓 「ディア・ファミリー」 23年間の記録』(清武英利)_書評という名の読書感想文

『アトムの心臓 「ディア・ファミリー」 23年間の記録』清武 英利 

『メイド・イン京都』(藤岡陽子)_書評という名の読書感想文

『メイド・イン京都』藤岡 陽子 朝日文庫 2024年4月30日 第1

『あいにくあんたのためじゃない』(柚木麻子)_書評という名の読書感想文

『あいにくあんたのためじゃない』柚木 麻子 新潮社 2024年3月2

『執着者』(櫛木理宇)_書評という名の読書感想文

『執着者』櫛木 理宇 創元推理文庫 2024年1月12日 初版 

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑