『美しい距離』(山崎ナオコーラ)_この作品に心の芥川賞を(豊崎由美)
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最終更新日:2024/01/08
『美しい距離』(山崎ナオコーラ), 作家別(や行), 山崎ナオコーラ, 書評(あ行)
『美しい距離』山崎 ナオコーラ 文春文庫 2020年1月10日第1刷
第155回芥川賞候補作
第23回島清恋愛文学賞受賞作
視点人物は、生命保険会社営業教育部で後進の育成にあたっている四十過ぎの男性。彼には同じ年の妻がいて、〈子どもには恵まれなかったが、楽しく十五年を送ってきた〉 という自覚がある。その妻が末期がんで入院しているため、会社に事情を話し、午前中のみの時短勤務にしてもらって看病をしている夫の目と心を通し、闘病にともなうありきたりで古い物語から、固有の生と固有の死を救い出す新しい物語になっているのだ。
この先、あなたの身にも起こるかもしれない “たとえ話” として読んでください。
もしも、です。もしもあなたの妻が四十歳やそこいらの年齢で癌になったとしたら、しかもそれが “末期がん” だとしたら。やがて死に逝く妻に対し、あなたは何ができるのでしょう? どんな支えがあれば、妻は喜んでくれるのでしょう。
男性の妻は、小さなサンドウィッチ屋を営んでいます。二人で暮らす分には夫の収入だけで十分だったのですが、それは彼女が望んだことでした。パンの生地や中に挟む材料を細かく吟味し、如何にして美味しいサンドウィッチを作るかは、彼女の、生きる糧でした。
「来たよ」
カーテンから覗いて、片手を挙げる。
「来たか」
笑って片手を挙げる。
毎日の看病の中で、本当はもっと世話をしてやりたい。洗顔だって 〈きちんと洗えていないように見えるので、やってあげたくなる。だが、自分でてきることは自分でやりたいはずだ。ぐっと我慢する〉。
妻の性分を理解している夫は、決して自分本位に動いたりはしない。〈爪も切ってあげたい〉 と思っていて、前からビジネスバッグの中に道具を入れてあるのだけれど、〈しかし、「爪を切ってあげようか」 のひと言がなかなか難しい。甘い響きが出てしまったら恥ずかしいし・・・・・・・〉 で、言い出せない。
読んでいて切なくなるほどの気配りの人である夫は、だから、病気にまつわるありがちゆえに無神経な言葉や対応に違和感を覚えもする。(太字部分は解説からの引用)
作中では、たとえば妻の延命治療に関する医師の (紋切り型の) 説明に、
要介護の認定に訪れる調査員の、プロゆえの経験則から陥りがちな、決めつけの論理に、
お見舞いに来て、妻に会うなりぼろぼろ涙をこぼし、「痩せた」 「痩せた」 と病室で連発する妻のいとこに、
他人の余命を知りたがり、死にそうになっている人を 「かわいそう」 と思うことに快感を覚えている会社の同僚らに、
夫はその都度、少なからず苛立つのでした。妻を言う時、皆が妻の 「死」 を前提としていることに。今も仕事のことを気にする妻にではなく、死を待つだけの知らない誰かに向けてのような、ありがちで見え透いた慰めに、我慢がならないのでした。
彼女には彼女自身の人生がある。彼女なりの社会との関わりは、(妻という立場とはまた別に) どんなにか大事であったことか。その思いに対し、世間が押しつけてくる物語というのは、言い回され言い慣れた、有り体なものでした。
二人は、二人にしか成し得ない人生を歩んできたはずで、今も、死の瞬間に立ち会いたいから見舞いに来ているのではなく、妻が現にいるこの瞬間のために見舞っているのだと - 誰彼に向け - 夫は声高に訴えたいのでした。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆山崎 ナオコーラ
1978年福岡県北九州市生まれ。埼玉県で育ち、東京都在住。
國學院大學文学部日本文学科卒業。
作品 「人のセックスを笑うな」「浮世でランチ」「カツラ美容室別室」「論理と感性は相反しない」「手」「ニキの屈辱」「昼田とハッコウ」他多数
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