『美しい距離』(山崎ナオコーラ)_この作品に心の芥川賞を(豊崎由美)

『美しい距離』山崎 ナオコーラ 文春文庫 2020年1月10日第1刷

美しい距離 (文春文庫)

第155回芥川賞候補作
第23回島清恋愛文学賞受賞作

視点人物は、生命保険会社営業教育部で後進の育成にあたっている四十過ぎの男性。彼には同じ年の妻がいて、子どもには恵まれなかったが、楽しく十五年を送ってきた という自覚がある。その妻が末期がんで入院しているため、会社に事情を話し、午前中のみの時短勤務にしてもらって看病をしている夫の目と心を通し、闘病にともなうありきたりで古い物語から、固有の生と固有の死を救い出す新しい物語になっているのだ。

この先、あなたの身にも起こるかもしれない “たとえ話” として読んでください。

もしも、です。もしもあなたの妻が四十歳やそこいらの年齢で癌になったとしたら、しかもそれが “末期がん” だとしたら。やがて死に逝く妻に対し、あなたは何ができるのでしょう? どんな支えがあれば、妻は喜んでくれるのでしょう。

男性の妻は、小さなサンドウィッチ屋を営んでいます。二人で暮らす分には夫の収入だけで十分だったのですが、それは彼女が望んだことでした。パンの生地や中に挟む材料を細かく吟味し、如何にして美味しいサンドウィッチを作るかは、彼女の、生きる糧でした。

来たよ
カーテンから覗いて、片手を挙げる。
来たか
笑って片手を挙げる。

毎日の看病の中で、本当はもっと世話をしてやりたい。洗顔だってきちんと洗えていないように見えるので、やってあげたくなる。だが、自分でてきることは自分でやりたいはずだ。ぐっと我慢する〉。

妻の性分を理解している夫は、決して自分本位に動いたりはしない。爪も切ってあげたい と思っていて、前からビジネスバッグの中に道具を入れてあるのだけれど、しかし、爪を切ってあげようか のひと言がなかなか難しい。甘い響きが出てしまったら恥ずかしいし・・・・・・・で、言い出せない。

読んでいて切なくなるほどの気配りの人である夫は、だから、病気にまつわるありがちゆえに無神経な言葉や対応に違和感を覚えもする。(太字部分は解説からの引用)

作中では、たとえば妻の延命治療に関する医師の (紋切り型の) 説明に、
要介護の認定に訪れる調査員の、プロゆえの経験則から陥りがちな、決めつけの論理に、
お見舞いに来て、妻に会うなりぼろぼろ涙をこぼし、「痩せた」 「痩せた」 と病室で連発する妻のいとこに、
他人の余命を知りたがり、死にそうになっている人を 「かわいそう」 と思うことに快感を覚えている会社の同僚らに、

夫はその都度、少なからず苛立つのでした。妻を言う時、皆が妻の 「死」 を前提としていることに。今も仕事のことを気にする妻にではなく、死を待つだけの知らない誰かに向けてのような、ありがちで見え透いた慰めに、我慢がならないのでした。

彼女には彼女自身の人生がある。彼女なりの社会との関わりは、(妻という立場とはまた別に) どんなにか大事であったことか。その思いに対し、世間が押しつけてくる物語というのは、言い回され言い慣れた、有り体なものでした。

二人は、二人にしか成し得ない人生を歩んできたはずで、今も、死の瞬間に立ち会いたいから見舞いに来ているのではなく、妻が現にいるこの瞬間のために見舞っているのだと - 誰彼に向け - 夫は声高に訴えたいのでした。

この本を読んでみてください係数 85/100

美しい距離 (文春文庫)

◆山崎 ナオコーラ
1978年福岡県北九州市生まれ。埼玉県で育ち、東京都在住。
國學院大學文学部日本文学科卒業。

作品 「人のセックスを笑うな」「浮世でランチ」「カツラ美容室別室」「論理と感性は相反しない」「手」「ニキの屈辱」「昼田とハッコウ」他多数

関連記事

『悪果』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『悪果』黒川 博行 角川書店 2007年9月30日初版 悪果 (角川文庫)  

記事を読む

『ウエストウイング』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『ウエストウイング』津村 記久子 朝日文庫 2017年8月30日第一刷 ウエストウイング (朝

記事を読む

『テティスの逆鱗』(唯川恵)_書評という名の読書感想文

『テティスの逆鱗』唯川 恵 文春文庫 2014年2月10日第一刷 テティスの逆鱗 (文春文庫)

記事を読む

『ボトルネック』(米澤穂信)_書評という名の読書感想文

『ボトルネック』米澤 穂信 新潮文庫 2009年10月1日発行 ボトルネック (新潮文庫)

記事を読む

『AX アックス』(伊坂幸太郎)_恐妻家の父に殺し屋は似合わない

『AX アックス』伊坂 幸太郎 角川文庫 2020年2月20日初版 AX アックス (角川文

記事を読む

『検事の死命』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『検事の死命』柚月 裕子 角川文庫 2019年6月5日8版 検事の死命 (角川文庫)

記事を読む

『ヤイトスエッド』(吉村萬壱)_書評という名の読書感想文

『ヤイトスエッド』吉村 萬壱 徳間文庫 2018年5月15日初刷 ヤイトスエッド (徳間文庫)

記事を読む

『往復書簡』(湊かなえ)_書評という名の読書感想文

『往復書簡』湊 かなえ 幻冬舎文庫 2012年8月5日初版 往復書簡 (幻冬舎文庫) 高校教

記事を読む

『田舎の紳士服店のモデルの妻』(宮下奈都)_書評という名の読書感想文

『田舎の紳士服店のモデルの妻』宮下 奈都 文春文庫 2013年6月10日第一刷 田舎の紳士服店

記事を読む

『おるすばん』(最東対地)_書評という名の読書感想文

『おるすばん』最東 対地 角川ホラー文庫 2019年9月25日初版 おるすばん (角川ホラー

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『物語が、始まる』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『物語が、始まる』川上 弘美 中公文庫 2012年4月20日9刷

『魯肉飯のさえずり』(温又柔)_書評という名の読書感想文

『魯肉飯のさえずり』温 又柔 中央公論新社 2020年8月25日初版

『理系。』(川村元気)_書評という名の読書感想文

『理系。』川村 元気 文春文庫 2020年9月10日第1刷 理

『樽とタタン』(中島京子)_書評という名の読書感想文

『樽とタタン』中島 京子 新潮文庫 2020年9月1日発行 樽

『ミーナの行進』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『ミーナの行進』小川 洋子 中公文庫 2018年11月30日6刷発行

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑