『1973年のピンボール』(村上春樹)_書評という名の読書感想文

『1973年のピンボール』村上 春樹 講談社 1980年6月20日初版

デビュー作『風の歌を聴け』に続く、村上春樹の第二作。『風の歌を聴け』 が散文詩調で、ひとつの物語を順序立てて語ろうとすることを最初から放棄している作品に対して、この 『1973年のピンボール』 は、物語を完成させようという村上春樹の決意が感じられる作品です。

なぜ自分が語ろうとするのかを検証するために書かれたデビュー作『風の歌を聴け』と同じ地平にあり、以後に続く作品の源泉だろうと思います。

この小説には長い序章があり、その後にようやく「僕」と「鼠」の話は始まります。

1969年から73年までに到達していた心象の過程を辿った後、今までの自分に結着をつけて歩み出す二人の覚悟を語っています。

物語はときに道をはずれ、終始一貫しているわけではありません。交互に語られる「僕」と「鼠」の話は最後まで交差しないままです。

しかし読み終わった後には、過ぎ去ろうとする時代にきちんとけじめをつけて、新しく何ものかになろうとする二人の気配に私たちは気付くことになります。

村上作品には、かなり非現実的なものや人物、超自然的な現象があたり前のように登場しますが、すでに二作目にしてその傾向は顕著です。

「土星生まれ」で「ある政治的なグループ」に所属する大学生。「金星生まれ」の物静かな男。

ある日目を覚ますと、「僕」の両脇には双子の女の子がいるのです。井戸掘り職人なんかも登場します。

これらの登場人物と彼等が語る言葉が何を象徴しているのか、突飛とも思える設定の必然性が、正直に言うと私には十分理解できません。

金星生まれの物静かな男は、「金星人は早死にする分、生きているうちに愛しておく」ので「たとえ今日誰が死んでも僕たちは悲しまない」と「僕」に告げます。

そして「そうでもしなければ、金星は悲しみで埋まってしまう」と続くのです。

もしかすると村上春樹は、「金星は悲しみで埋まってしまう」というフレーズを書きたかっただけではないかと思ったりもするのです。

いずれにせよ、村上春樹は読者を試します。勇気をもって読まなければなりません。

物語は1973年の9月に始まります。「僕」と「鼠」と呼ばれる男の話です。そして、3フリッパーのピンボール・マシン「スペースシップ」の話でもあります。

「僕」と「鼠」がジェイズ・バーでビールを飲み続けていた頃、バーには「スペースシップ」というピンボールがありました。

「僕」と彼女(=スペースシップ)は互いに唯一の理解者で、「僕」が嘆くと彼女は「あなたは悪くなんかないのよ、精いっぱいやったじゃない」と慰めたりします。

ジェイズ・バーは閉店し「スペースシップ」は行方不明になりますが、やがて「僕」は用済みで倉庫に並べられた78台のピンボール・マシンの中に「スペースシップ」を見つけ出します。

時代を席巻したピンボール・マシンの彼女(=スペースシップ)に、「僕」はこんな風にして彼女に会いたくなかったと思い、

彼女は「もう行った方がいいわ」「会いに来てくれてありがとう」と優しく別れの言葉を告げるのでした。

一方、「大学を放り出された」「金持ちの青年」である鼠は、ジェイズ・バーで中国人のバーテン・ジェイを相手に相変わらずビールを飲んでいました。

しかし街は確実に変化を続け、気が付くと25歳になる自分が未だにどこへも行けず留まっていることに鼠は焦り、迷っています。

夏休みの休暇で街に帰っていた数少ない友人たちは遠く離れた彼等自身の場所へ帰りますが、帰るべき場所がない鼠は消沈するばかりです。

女と別れた「鼠」は、これで終わったんだと思い、ジェイに街を出ると告げます。

「僕」と「鼠」にとっての1973年は、何かが始まる前の彷徨、誰もに訪れる青春の終章でした。

この本を読んでみてください係数 90/100


◆村上 春樹

1949年京都府京都市伏見区生まれ。兵庫県西宮市、芦屋市で育つ。

早稲田大学第一文学部演劇科を7年かけて卒業。在学中にジャズ喫茶「ピーター・キャット」を国分寺に開店する。

作品 「風の歌を聴け」「羊をめぐる冒険」「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」「1Q84」「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」「女のいない男たち」他多数

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