『ウエストウイング』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『ウエストウイング』津村 記久子 朝日文庫 2017年8月30日第一刷


ウエストウイング (朝日文庫)

女性事務員ネゴロ、塾通いの小学生ヒロシ、若手サラリーマンのフカボリ。ビルの物置き場で、3人は物々交換から繋がりができる。そんなある日豪雨警報が流れ - 。古ぼけた雑居ビルに集う見知らぬ者同士のささやかな交わりを温かな手触りで描いた長編小説。(朝日文庫)

43ページ辺り。主人公の一人・ヒロシが初めて登場する場面。

授業が終わり、帰宅をする段になると、タカミネの態度は少し軟化したようで、追いすがるホリを遠ざけもせずに、ついてこさせるままにしているようだった。ヒロシは舌打ちしながら、その様子を見届けようとしている自分を突然みじめに感じて、机の上に散乱するテキストやノートを乱暴にリュックに突っ込む。

荷物をまったく整理しないせいで、容易にファスナーが閉まらず、そのことにも苛立つ。まったく人生はままならない。女の子が自分を振り向く見込みがなく、荷物がまとまらない。その二点が、ヒロシの世界のうまくいかなさを敷衍する。

どこが良くて私は津村記久子の書く小説を読みたいと思うのだろう。この 『ウエストウイング』 にしてもそうで、何気に読むと、〈人生における一大事! 〉 みたいなことは何ひとつ書いてありません。ありふれた、どうでもいいような話ばかりが書いてあります。

ネゴロにしても、ヒロシにしても、フカボリにしても同様で、彼らはおしなべて凡庸な人物で、真面目といえば真面目なのですが、往々に自分に甘く上昇志向は希薄で、そんな自分を幾分か持て余しているようなところがあります。

周囲の人間とはそれなりに親しく、信頼されてもいます。しかし、内心ではどこか別のところにこそ自分の望む本来の居場所があるような、そんな気持ちを抱えています。大きな不満はないにせよ、さして有用とは思えない日常に日々鬱々としています。

先に挙げたヒロシの 〈ままならなさ〉 はどうでしょう? 彼はやればできる (であろう )少年なのですが、塾では (成績の上位で編成されたAクラスではなく) Bクラスに甘んじています。小学5年生にしては、ヒロシはえらく大人びたところがあります。

周囲にいる同級生のことをよく観察し、その〈幼さ〉に呆れているような感じがします。しかし、それを態度に出さず、やや卑屈で、クラスの連中とはつるまずに休憩時間になると誰も来ないところへ行き一人ですごすようになります。

その前段の彼の様子が、先の文章です。 (私はこんな文章にこそ反応し、それゆえ津村記久子の小説が大好きなのです)

彼ら3人が通う古ぼけた雑居ビル 「椿ビルディング」 の西棟には、4階の隅に、不要になったオフィス家具が未回収のまま雑然と置かれた「物置き場」があります。スチール棚で廊下から隠されたその狭い空間は、ヒロシ (のような人間) にとって体と心を休めるための格好の隠れ場所となります。

「物置き場」 には、必ずしも気持ちの良い人たちばかりではない職場で、蓄積してゆくストレスをあの手この手でいなしながらしぶとく生きている - 設計会社の支所で事務をとる31歳の女・ネゴロや、

給料が安いのを除けば目立った不満はないものの、年がら年中理由のわからない疲れが取れず、ゲームの主人公のようにレモネード売りで活計 (たつき) が立たないものかなどという禄でもない夢想に耽っている - 土質や水質の分析を扱う会社に勤める28歳の男・フカボリが、仕事を抜け出し、代わる代わるにやって来ます。

ヒロシは、母親に強いられて学習塾に通う、あまり勉強はできないがめざましい画才を持つ小学5年生の少年です。

彼は、軽いいじめに遭いそうな場面をそのつど賢くかわし、自分を理解してくれない母親のことも密かに優しくいたわりつつ、世界の内部にどうしたら自分の居場所を見つけられるのだろうと悩んでいます。 (太字部分は解説より引用)

 

この本を読んでみてください係数 85/100


ウエストウイング (朝日文庫)

◆津村 記久子
1978年大阪府大阪市生まれ。
大谷大学文学部国際文化学科卒業。

作品 「まともな家の子供はいない」「君は永遠にそいつらより若い」「ポトスライムの舟」「ミュージック・ブレス・ユー!! 」「とにかくうちに帰ります」「浮幽霊ブラジル」他多数

関連記事

『大人は泣かないと思っていた』(寺地はるな)_書評という名の読書感想文

『大人は泣かないと思っていた』寺地 はるな 集英社文庫 2021年4月25日第1刷 大人は泣

記事を読む

『EPITAPH東京』(恩田陸)_書評という名の読書感想文

『EPITAPH東京』恩田 陸 朝日文庫 2018年4月30日第一刷 EPITAPH東京 (朝

記事を読む

『噛みあわない会話と、ある過去について』(辻村深月)_書評という名の読書感想文

『噛みあわない会話と、ある過去について』辻村 深月 講談社文庫 2021年10月15日第1刷

記事を読む

『義弟 (おとうと)』(永井するみ)_書評という名の読書感想文

『義弟 (おとうと)』永井 するみ 集英社文庫 2019年5月25日第1刷 義弟 (集英社文

記事を読む

『ウィステリアと三人の女たち』(川上未映子)_書評という名の読書感想文

『ウィステリアと三人の女たち』川上 未映子 新潮文庫 2021年5月1日発行 ウィステリアと

記事を読む

『いつかの人質』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『いつかの人質』芦沢 央 角川文庫 2018年2月25日初版 いつかの人質 (角川文庫) 宮

記事を読む

『オロロ畑でつかまえて』(荻原浩)_書評という名の読書感想文

『オロロ畑でつかまえて』 荻原 浩 集英社 1998年1月10日第一刷 オロロ畑でつかまえて

記事を読む

『薄闇シルエット』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『薄闇シルエット』角田 光代 角川文庫 2009年6月25日初版 薄闇シルエット (角川文庫)

記事を読む

『あちらにいる鬼』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『あちらにいる鬼』井上 荒野 朝日新聞出版 2019年2月28日第1刷 あちらにいる鬼

記事を読む

『レディ・ジョーカー』(高村薫)_書評という名の読書感想文

『レディ・ジョーカー』(上・下)高村 薫 毎日新聞社 1997年12月5日発行 レディ・ジョー

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『遠巷説百物語』(京極夏彦)_書評という名の読書感想文

『遠巷説百物語』京極 夏彦 角川文庫 2023年2月25日初版発行

『最後の記憶 〈新装版〉』(望月諒子)_書評という名の読書感想文

『最後の記憶 〈新装版〉』望月 諒子 徳間文庫 2023年2月15日

『しろがねの葉』(千早茜)_書評という名の読書感想文

『しろがねの葉』千早 茜 新潮社 2023年1月25日3刷

『今夜は眠れない』(宮部みゆき)_書評という名の読書感想文

『今夜は眠れない』宮部 みゆき 角川文庫 2022年10月30日57

『プロジェクト・インソムニア』(結城真一郎)_書評という名の読書感想文

『プロジェクト・インソムニア』結城 真一郎 新潮文庫 2023年2月

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑