『献灯使』(多和田葉子)_書評という名の読書感想文

『献灯使』多和田 葉子 講談社文庫 2017年8月9日第一刷


献灯使 (講談社文庫)

大災厄に見舞われ、外来語も自動車もインターネットもなくなり鎖国状態の日本。老人は百歳を過ぎても健康だが子どもは学校に通う体力もない。義郎は身体が弱い曾孫の無名が心配でならない。無名は「献灯使」として日本から旅立つ運命に。大きな反響を呼んだ表題作など、震災後文学の頂点とも言える全5編を収録。(講談社文庫)

暮らす環境を一変させるほど激甚で不可逆的なカタストロフィが起きているらしい。忌々しい出来事から数十年経ったと思われる時点で、体があまり自由に動かない少年無名(むめい)と、百歳を超えたがまだ死ねないでいるその曾祖父で保護者義郎の物語は繰り広げられている。(ロバート キャンベル/解説にある冒頭の文章)

曾孫に食べさせる果物を手に入れようと躍起になり、老人たちは市場から市場へと亡霊のように彷徨っています。世はインフレで、あげく一部の果物と野菜には全国均一の定価が付いてあり、オレンジが一個一万円で売られています。

本州は季候が乱暴で気まぐれな性格になったせいで農業がやりづらくなっています。それでも東北地方はまだましで、「新種雑穀」と呼ばれる栄養価の高い穀物の生産で潤っており、量が減ったとはいえ、従来の米や麦も相変わらず出荷されています。

問題が多いのは本州でも茨木から京都にかけての地帯で、8月に粉雪が降ったり、2月に熱風が多量の砂を運んで来たりします。夏に雨が3ヶ月も降らず風景が茶色くなったり、急に熱帯低気圧による豪雨が降って地下鉄の駅の構内が水浸しになったりします。

干ばつや暴風豪雨に追い立てられるようにして、本州から沖縄へ多くの男女が移住するようになります。(北海道とは違い)沖縄は本州からの移民を無制限に受け入れる方針だったのですが、(仕事を求め)男性労働者ばかりが増えるに及び、

結果、沖縄の農場で働きたい者は夫婦で申請しなければならなくなります。女性の独り者、あるいは男女とも同性愛の夫婦はそのまま応募できますが、男性の独身者は応募できなくなります。仕事がないと移住は叶わず、農場より他にはほとんど働く場所がありません。

無名の曾祖父の義郎は、かつて自分が孫に教えたことは間違いだったと認めるしかないと思っています。義郎は、「東京の一等地に土地があれば将来その価値が下がるということはありえない、不動産ほど信用できるものはない」と固く信じていました。ところが、

今や、一等地を含む東京二十三区全体が、「長く住んでいると複合的な危険にさらされる地区」に指定され、土地や家はお金に換算できるような種類の価値をまるで失くしています。

すぐにどうこうというわけではないながら、長い間その環境にさらされていると複合的に悪影響が出る確率が高い土地だと言われ、都心を離れ、多くは奥多摩から長野にかけての地域へ移り住むようになります。

・・・・・・・・・

夜那谷はいつからか、大人に対する話し方と子どもに対する話し方を区別しなくなってきています。世界地図を広げて海の向こうの国の話をしてやると、子どもたちは露に濡れた葡萄のような瞳を向けて、飽きることなく耳を傾けています。その中から一番「献灯使」にふさわしい子を選び出さなくてはなりません。

毎日たくさんの小学生を観察できる環境にいる夜那谷は、それが自分の使命だと思っています。無名に白羽の矢を立ててはいるのですが、これからどんな風に成長していくのか数年見守ってからでなければ最終的な判断は下せないと考えています。

その頃、すでに無名の体調は著しく悪化しています。激しい頭痛に襲われ、それに耐えようと必死で腕を動かしたりします。しかし、まわりの目には見えないようで、無名はそれが不思議でなりません。

孤立感に伴って視界がかすんできたので、焦点をあわせようと眉間に皺を寄せて世界地図を睨んだ。これはどう見ても僕自身の肖像画だ。アンデス山脈が外側に向かって弧を描き、また内側に向かう曲線が、僕の右の腰から足首にかけての骨の曲線にぴったりだ。

上半身の骨は頂点に向かって内側に彎曲し、左から上昇してくる山脈とベーリング海で出逢う。骨は全部曲がっている。曲げるつもりはないのだけれど、すでに曲がっていて、もしこれが痛みというものであるとしたら、それは初めから理由もなくあったものだ。

無名はそのときそう思い、やがて15歳になり、15歳になった無名は、もはや歩けなくなっています。

※「これは今年一番の難解な本だと思う」という感想がありました。心して読んでください。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


献灯使 (講談社文庫)

◆多和田 葉子
1960年東京都生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。ハンブルク大学修士課程修了。チューリッヒ大学博士課程修了。ベルリン在住。

作品 「かかとを失くして」「犬婿入り」「ヒナギクのお茶の場合」「球形時間」「容疑者の夜行列車」「尼僧とキューピッドの弓」「雪の練習生」「雲をつかむ話」他多数

関連記事

『幸福な食卓』(瀬尾まいこ)_書評という名の読書感想文

『幸福な食卓』瀬尾 まいこ 講談社 2004年11月19日第一刷 幸福な食卓 (講談社文庫)

記事を読む

『アレグリアとは仕事はできない』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『アレグリアとは仕事はできない』津村 記久子 ちくま文庫 2013年6月10日第一刷 アレグリ

記事を読む

『劇団42歳♂』(田中兆子)_書評という名の読書感想文

『劇団42歳♂』田中 兆子 双葉社 2017年7月23日第一刷 劇団42歳&#x

記事を読む

『御不浄バトル』(羽田圭介)_書評という名の読書感想文

『御不浄バトル』羽田 圭介 集英社文庫 2015年10月25日第一刷 御不浄バトル (集英社文

記事を読む

『グロテスク』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『グロテスク』桐野 夏生 文芸春秋 2003年6月30日第一刷 グロテスク  

記事を読む

『とにかくうちに帰ります』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『とにかくうちに帰ります』津村 記久子 新潮社 2012年2月25日発行 とにかくうちに帰りま

記事を読む

『後悔病棟』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『後悔病棟』垣谷 美雨 小学館文庫 2017年4月11日初版 後悔病棟 (小学館文庫) 33

記事を読む

『結婚』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『結婚』井上 荒野 角川文庫 2016年1月25日初版 結婚 (角川文庫)  

記事を読む

『GIVER/復讐の贈与者』(日野草)_書評という名の読書感想文

『GIVER/復讐の贈与者』日野 草 角川文庫 2016年8月25日初版 GIVER 復讐の贈

記事を読む

『カルマ真仙教事件(上)』(濱嘉之)_書評という名の読書感想文

『カルマ真仙教事件(上)』濱 嘉之 講談社文庫 2017年6月15日第一刷 カルマ真仙教事件(

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『この世にたやすい仕事はない』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『この世にたやすい仕事はない』津村 記久子 新潮文庫 2018年12

『八月は冷たい城』(恩田陸)_書評という名の読書感想文

『八月は冷たい城』恩田 陸 講談社タイガ 2018年10月22日第一

『地下街の雨』(宮部みゆき)_書評という名の読書感想文

『地下街の雨』宮部 みゆき 集英社文庫 2018年6月6日第55刷

『らんちう』(赤松利市)_書評という名の読書感想文

『らんちう』赤松 利市 双葉社 2018年11月25日第一刷 ら

『作家刑事毒島』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『作家刑事毒島』中山 七里 幻冬舎文庫 2018年10月10日初版

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑