『それもまたちいさな光』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『それもまたちいさな光』角田 光代 文春文庫 2012年5月10日第一刷


それもまたちいさな光 (文春文庫)

 

【主人公である悠木仁絵の、それはそれは無惨な恋の話】
27歳の仁絵が、佐藤雅弘というひとつ年下の男に恋をします。雅弘が働く事務所で知り合い、メルアドや携帯番号を交換し、飲みに行き、やがて2人はつき合うようになります。

雅弘が既婚者だと分かったのは半年後。しかし、雅弘を問い詰めても動じる気配はありません。妻とは既に別居状態で、別れることが決まっていると言います。あまりに自然に言うので、つまり、自分が今できることはとりあえず何もないのだろうと仁絵は思います。

このとき、まだ仁絵はその恋にのめりこんではいません。少なくとも、のめりこんではいないと思っています。

さらに1ヶ月後には子供がいることを知り、雅弘がカメラマンではなく編集プロダクションのアルバイトであることが分かります。しかし、ここでも雅弘なりの言い分があります。それには疑う要素がひとつもなく、その答えに仁絵は矛盾を見つけることができません。

もし親友の珠子からその話を聞いたとしたら、その人ちょっとおかしいんじゃないの、と言ったろうと仁絵は思います。まるで好意を持っていない知り合いに聞かされたら、嘘だとは思わないにしても、けったいな人だとは思ったはずです。

でも、仁絵はそうは思わなかったのです。いろいろ大変なんだなあと思い、えらいなあ、とも思ったのです。つまり、全面的に雅弘を信じたわけです。

もちろん、そんなことだけが2人の付き合いではありません。居酒屋やイタリア料理店で過ごす時間があり、公園ではしゃぐ休日があったのです。気が遠くなるほどの口づけがあり、自分が壊れていくように思えるくらい新鮮な性交があり、寄り添って眠るときの手放したくない体温があったのです。

つき合う内に「この人といるとなんか楽だ」と思うようになります。そう思ったときには、おそらくもう、のめりこんでいたのだと仁絵はあとになって気付くのです。

【仁絵の幼なじみの駒場雄大が理想とする、ベトナムのとある村の食堂の話】
その村には、店を構えた商店などというものがありません。ただ一軒だけ屋根のついた店があり、それが食堂でした。メニューは一つきりで、その日の日替わりのみ。各テーブルには茶菓子が置いてあって、食べた分だけ払うシステムになっています。

村には電気が通っていません。食堂にはラジオがあって、カラオケ番組をやっています。村の人にはそれが何よりの娯楽で、時間になるとみんなが集まってきて順番に曲に合わせて歌います。カラオケ番組の時間帯だけは、食堂が村の人たちに解放されるのです。

屋根を組んだだけで、壁のない食堂ですが、夜に遠くからここが見えるとすごくいいんだと雄大は言います。真っ暗な中にランプの明かりが浮かび上がって、音楽が聞こえてきて、笑い声や話し声が聞こえ、やがてそれぞれのテーブルに着く人たちの姿が見えてきます。

【ラジオのパーソナリティー・竜胆美帆子の仕事の流儀】
今年で5年目になる「モーニングサンシャイン」は、月曜日から土曜日、朝8時にはじまり11時に終わる番組です。番組をはじめて持つことになった5年前、美帆子は今よりぜんぜん気負っていたのですが、4年前、あることがきっかけで方針をがらりと変えます。

無駄話しか、しない。新聞を読むのをやめ、ニュースを追うこともやめます。不思議なことに、それからじわじわと人気が出ます。どうでもいいことをしゃべりすぎるという批判も増えますが、美帆子は次第に開き直ります。そうしようと決めて、そうしたのですから。

【長谷鹿ノ子は50代の大手出版社に勤める編集者。独身。道ならぬ恋をしています】
【田河珠子と仁絵は美大時代の同級生。珠子は売出し中の画家。叶わぬ恋をしています】

私はまったく知らずに読んだのですが、この小説はTBSラジオ開局60周年の記念として書かれた作品のようです。少し古い話になりますが、2011年の暮れにはラジオでドラマにもなっているようです。道理で節目節目に「モーニングサンシャイン」が流れる訳です。

仁絵が働くオフィスや雄大の実家の「クローバー」という名のレストラン。鹿ノ子の道ならぬ恋の相手・タッくんが入院している病院のベッド脇、移動中のタクシーの中・・・。

美帆子の話は何ほどの主張もなく、空気のようにその場の景色に溶け込んで、遠慮深い抑揚と気付かぬくらいの起伏を繰り返しながら、あくまで飄々と語られます。

この小説には、報われない恋があり、破綻してしまう恋があります。そして、誰かと誰かが、決して激しく燃え上がるわけではないのですが、遂に結婚しようと決心します。

それぞれが事情を抱え、別々の場所で暮らし、若い頃には若いなりの、激しい恋をします。しかし、果たしてそれは、二度とはない真実の恋だったのでしょうか。本当にそう言い切れるものだったのでしょうか。人生を重ねると、どこかで、何かが少し違って見えてきたりするのです。

【追伸】
佐藤雅弘という男はハンパ者の大嘘つきで、仁絵に言ったことはまるでデタラメです。では、仁絵は一体、誰に恋をしていたことになるのでしょう?
もひとつ、ついでに雄大。実は彼も若い頃に年上の女性と大騒動を起こした苦い過去があります。その傷を癒すために旅へ出て、ふと立ち寄ったのがベトナムのとある村・・・、てなことにしておきましょう。

 

この本を読んでみてください係数  85/100


それもまたちいさな光 (文春文庫)

◆角田 光代
1967年神奈川県横浜市生まれ。
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。

作品 「空中庭園」「対岸の彼女」「紙の月」「八日目の蝉」「ロック母」「マザコン」「かなたの子」「ドラママチ」「笹の舟で海をわたる」「幾千の夜、昨日の月」ほか多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『後妻業』黒川博行_書評という名の読書感想文(その1)

『後妻業』(その1) 黒川 博行 文芸春秋 2014年8月30日第一刷 後妻業 &nbs

記事を読む

『老後の資金がありません』(垣谷美雨)_書評という名の読書感想文

『老後の資金がありません』垣谷 美雨 中公文庫 2018年3月25日初版 老後の資金がありませ

記事を読む

『落英』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『落英』黒川 博行 幻冬舎 2013年3月20日第一刷 落英   大阪府警薬

記事を読む

『作家刑事毒島』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『作家刑事毒島』中山 七里 幻冬舎文庫 2018年10月10日初版 作家刑事毒島 (幻冬舎文庫

記事を読む

『背高泡立草』(古川真人)_草刈りくらいはやりますよ。

『背高泡立草』古川 真人 集英社 2020年1月30日第1刷 【第162回 芥川賞受賞作】背

記事を読む

『櫛挽道守(くしひきちもり)』(木内昇)_書評という名の読書感想文

『櫛挽道守(くしひきちもり)』木内 昇 集英社文庫 2016年11月25日第一刷 櫛挽道守 (

記事を読む

『ビニール傘』(岸政彦)_書評という名の読書感想文

『ビニール傘』岸 政彦 新潮社 2017年1月30日発行 ビニール傘 共鳴する街の声 - 。

記事を読む

『夜の谷を行く』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『夜の谷を行く』桐野 夏生 文芸春秋 2017年3月30日第一刷 夜の谷を行く 39年前、西

記事を読む

『水やりはいつも深夜だけど』(窪美澄)_書評という名の読書感想文

『水やりはいつも深夜だけど』窪 美澄 角川文庫 2017年5月25日初版 水やりはいつも深夜

記事を読む

『ちょっと今から人生かえてくる』(北川恵海)_書評という名の読書感想文

『ちょっと今から人生かえてくる』北川 恵海 メディアワークス文庫 2019年7月25日初版

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『ここは、おしまいの地』(こだま)_書評という名の読書感想文

『ここは、おしまいの地』こだま 講談社文庫 2020年6月11日第1

『カウントダウン』(真梨幸子)_書評という名の読書感想文

『カウントダウン』真梨 幸子 宝島社文庫 2020年6月18日第1刷

『悪の血』(草凪優)_書評という名の読書感想文

『悪の血』草凪 優 祥伝社文庫 2020年4月20日初版 悪の

『雨の鎮魂歌』(沢村鐵)_書評という名の読書感想文

『雨の鎮魂歌』沢村 鐵 中公文庫 2018年10月25日初版

『メガネと放蕩娘』(山内マリコ)_書評という名の読書感想文

『メガネと放蕩娘』山内 マリコ 文春文庫 2020年6月10日第1刷

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑