『報われない人間は永遠に報われない』(李龍徳)_書評という名の読書感想文

『報われない人間は永遠に報われない』李 龍徳 河出書房新社 2016年6月30日初版

この凶暴な世界に私たち二人きりね - 。自尊心ばかり肥大した男と、自己卑下に取り憑かれた女の、世界で一番いびつで無残な愛。男を破滅に導く「運命の女」を描く、著者待望の第二作!! (河出書房新社)

「世界認識、っていうのはね」と彼女は言う。「忍耐力がたっぷり必要なものなのよ。みんながみんな、くだらないなんて、そんなわかりやすい話、あるわけない」

「だから、私たちは耐えなきゃ。私たちは、- ううん、私は、この私は、どうしたって何したって、報われない。だったら、抵抗するだけ無駄。我慢強く正しく世界認識して、その認識の杭打ちのところで、しっかり立ち止まる。過度に期待しない。

特に『世界のほうから変わろうとしている』って見えてるときこそ、危険。しっかりその杭に掴まってる必要がある」- 近藤の誘いに映子が初めて応じた時のこと、彼女はこんなことを言い出します。

「言ってる意味がちょっと・・・・」
「何言ってるかわかんない? 」
「わかんないですね。さっきから何度か。わかったとしても、だから何って話だし」

そんなふうに近藤が返すと、「報われない人間は永遠に報われないのよ。それだけのこと」- と、さらに言葉を重ねます。

近藤は尚のこと彼女の言いたいことが分からず訊き返すのですが、はぐらかされ、映子は最後は無言で微かに頭(かぶり)を振ります。最初出会ったときの二人は、何ら意気投合することなく別れることになります。しかしながら、

映子は近藤のことを変わっていて面白いと思い、近藤は近藤で、(たとえ疑似恋愛であっても)疑似だからこそ楽しいものだと自らに言い聞かせて落ち着かずにはいられないような心境、つまりはすぐにでも彼女に会いたくて仕方なくなっています。
・・・・・・・・・
思うに、二人の関係がいかにも「いびつで無残な」ものに思えたとしても、当人らからすれば、存外普通であるのかも知れません。

だってそうでしょう? 世の中に自尊心のない男性などいるわけがないし、程度の差こそあれ、自分を卑下してばかりの女性だって山ほどいるのですから。

一般的に考えて - 恋愛の過程にあって、どんな状態を「いびつ」と言い、何をもって「無残」と感じるのでしょうか。帯文には〈この世で一番「最低」な恋愛の、はじまりから終わりまで -〉とありますが、恋愛における「最低」の意味が分からない。

(私は男性で)小説に登場する近藤という若者がとても他人とは思えません。つまらない職場の、さえない女上司・諸見映子に対し、まるでその気がないのに言い寄った挙句どうにかなったとしても、それはそういうことなのであり、

たとえそれが職場での暇つぶしのための下品な賭けであったとしても - 諸見映子を一週間以内に落とせたら皆から三千円ずつ貰えるという - それが大した問題かといえばそんなわけはなく、それこそがよくある始まりの端緒だと言えます。

要は、近藤と諸見映子はからかいの対象になり、近藤は十分にそれを承知の上で、彼は職場の同僚らに劣らず退屈していたという理由でのみその賭けに乗ったということです。

諸見映子は、二十人ほどいる派遣社員をまとめる上席SV(スーパー・バイザー)のうちの一人で、(しかし彼女も近藤と同様に契約社員で)四人いる夜間専門SVの中で唯一の女性です。最初近藤は、彼女が映子という名前であることすら知らないでいます。

映子は皆からずいぶんと疎んじられています。仕事はできるのですが、態度は冷たく、打ち解けなく、悲しいことにその容姿に華やかさがいっさいありません。当時三十四歳で、独身で、化粧や服装に気遣いはほとんど見られなく、人の目を見て話そうとしません。

彼女は仕事の領分以外で緩んだ笑顔を見せません。その打ち解けのなさは近藤のような新人に対してのみでなく他の社員に対しても同様で、彼女は単なる人見知りではなく、意志の力をもって平然と非社交性を貫いているように見えます。

二人はこの先「つき合う」ことになるのですが、当初まるで相容れなかった互いの言い分は、どのように変化をしてゆくのか。それまでの近藤は、明らかに映子のことを見下しています。下に見つつ、見透かすようにして甘い言葉を投げかけます。

結局のところ映子はそれに応じ「なるように」なるわけですが、それで何かが成就したかというと、決してそういう訳ではありません。挙句、最後に近藤はこんな言葉を残します。

今の僕は必ずあなたより孤独で惨めで不幸です。安心してください。あなたより下位に、必ず僕はいます。

と。

この本を読んでみてください係数 90/100


◆李龍徳(イ・ヨンドク)
1976年埼玉県生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。在日韓国人三世。

作品 「死にたくなったら電話して」(第51回文藝賞受賞作)

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