『回遊人』(吉村萬壱)_書評という名の読書感想文

『回遊人』吉村 萬壱 徳間書店 2017年9月30日初刷


回遊人 (文芸書)

妻か、妻の友人か。過去へ跳び、人生を選べ。何度も。平凡な暮らしとはいえ、幸せな家庭を築いた男。しかし、妻子とのやり取りに行き詰まりを感じて出奔してしまう。たどり着いたドヤ街で小さな白い錠剤を見つけた男は、遺書を書き、それを飲む。ネタになるならよし。よしんば死んでも構わないと考えて。目覚めるとそこは10年前、結婚前の世界だった。人生を選べる幸せを、男は噛み締めていたのだが・・・・・・・。芥川賞、島清恋愛文学賞作家と旅する永遠なる10年。書き下ろし長篇。(「BOOK」データベースより)

主人公の江川浩一は44歳。デビューして6年、その後専業となって2年の純文学系の小説家。ではあるものの、ここ最近はとんと売れない、というかまるで(小説の書き方を忘れたように)書けなくなっています。

彼には妻・淑子がいて、7歳になる息子・浩がいます。にもかかわらず、浩一は淑子の大学時代からの友人・亜美子の肉体への妄想を押さえることができません。

そもそも彼が最初付き合いたいと思ったのは亜美子の方で、それが果たせず、結果浩一は淑子と結婚しています。とは言え亜美子に対する浩一の劣情は行き過ぎて激しいものがあります。

あまりある彼の肉欲は、思い通りに書けなくなった、(浩一いわく)何者でもない人間に成り下がろうとする自分に対する焦りと不甲斐なさの反動のようでもあります。

スランプから脱出すべく、彼はささやかなる(プチ)家出を敢行します。宿を決め、夕食をとろうと何度か入ったことがある中華料理屋に入り、彼はそこで足許に数粒の白い錠剤が落ちているのに気付きます。

全部で七粒。そのうち一粒だけを持ち帰り、彼は大いなる決意をもって(あるいは半ばやけくそで)それを飲むことによって開けるかもしれない新たな局面に作家生命を賭けてみようと決心します。あとに妻子への遺書を残して -

- とまあ、これが前段。このあと、彼は繰り返し10年単位で人生をやり直すことになります。(こんなのを「タイムリープ小説」というらしい)

その思いもよらない非現実的な設定と、(吉村萬壱という特異な作家をよくご存じの方なら百も承知の)細々(こまごま)とした描写に至るまでの切実なまでのリアルさに圧倒され、混迷し、繰り返し訪れる人生の不条理に、ふと我に返って涙するかもしれません。

何度やり直そうとも江川浩一の人生は「意のままに」はなりません。それどころか、それまでの人生で手に入れられなかったものを手にすると、それとは反対に(または手に入れてしまったからこそ気付いてしまう)、何か大きなものの喪失感に苛まれることになります。

それでも彼は諦める決心がつけられずにいます。とうにわかっているのに、情けなくもあり、あさましくいじましいと知りつつも、叫ばずにはいられません。最期の力を振り絞り、繰り返し、

もう一回だけ! 」- と

※アメト--クで光浦靖子さんが紹介して注目の 『臣女(おみおんな)』 と併せて読んでみてください。「夫婦とは(あるいは男にとって女とは)何ぞや」ということを、改めて考えさせられることになります。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


回遊人 (文芸書)

◆吉村 萬壱(本名:吉村浩一)
1961年愛媛県松山市生まれ。大阪府大阪市・枚方市育ち。
京都教育大学教育学部第一社会科学科卒業。

作品 「ハリガネムシ」「クチュクチュバーン」「バースト・ゾーン」「ヤイトスエッド」「独居45」「ボラード病」「臣女」他

関連記事

『ことり』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

『ことり』小川 洋子 朝日文庫 2016年1月30日第一刷 ことり (朝日文庫) &nb

記事を読む

『テティスの逆鱗』(唯川恵)_書評という名の読書感想文

『テティスの逆鱗』唯川 恵 文春文庫 2014年2月10日第一刷 テティスの逆鱗 (文春文庫)

記事を読む

『ケーキの切れない非行少年たち』(宮口幸治)_書評という名の読書感想文

『ケーキの切れない非行少年たち』宮口 幸治 新潮新書 2020年9月5日27刷 ケーキの切れ

記事を読む

『劇場』(又吉直樹)_書評という名の読書感想文

『劇場』又吉 直樹 新潮文庫 2019年9月1日発行 劇場 (新潮文庫) 高校卒業後、

記事を読む

『空中ブランコ』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『空中ブランコ』奥田 英朗 文芸春秋 2004年4月25日第一刷 空中ブランコ (文春文庫)

記事を読む

『月魚』(三浦しをん)_書評という名の読書感想文

『月魚』三浦 しをん 角川文庫 2004年5月25日初版 月魚 (角川文庫) 古書店 『無窮

記事を読む

『愚者の毒』(宇佐美まこと)_書評という名の読書感想文

『愚者の毒』宇佐美 まこと 祥伝社文庫 2017年9月10日第4刷 愚者の毒 (祥伝社文庫)

記事を読む

『JR上野駅公園口』(柳美里)_書評という名の読書感想文

『JR上野駅公園口』柳 美里 河出文庫 2017年2月20日初版 JR上野駅公園口 (河出文

記事を読む

『告白』(湊かなえ)_書評という名の読書感想文

『告白』湊 かなえ 双葉文庫 2010年4月11日第一刷 告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み

記事を読む

『教団X』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『教団X』中村 文則 集英社文庫 2017年6月30日第一刷 教団X (集英社文庫) 突然自

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『禁断領域 イックンジュッキの棲む森』(美原さつき)_書評という名の読書感想文

『禁断領域 イックンジュッキの棲む森』美原 さつき 宝島社文庫 20

『死者の奢り・飼育』(大江健三郎)_書評という名の読書感想文

『死者の奢り・飼育』大江 健三郎 新潮文庫 2022年11月25日8

『メタボラ』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『メタボラ』桐野 夏生 文春文庫 2023年3月10日新装版第1刷

『遠巷説百物語』(京極夏彦)_書評という名の読書感想文

『遠巷説百物語』京極 夏彦 角川文庫 2023年2月25日初版発行

『最後の記憶 〈新装版〉』(望月諒子)_書評という名の読書感想文

『最後の記憶 〈新装版〉』望月 諒子 徳間文庫 2023年2月15日

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑