『凍てつく太陽』(葉真中顕)_書評という名の読書感想文
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『凍てつく太陽』(葉真中顕), 作家別(は行), 書評(あ行), 葉真中顕
『凍てつく太陽』葉真中 顕 幻冬舎 2019年1月31日第2版
昭和二十年 - 終戦間際の北海道・室蘭。逼迫した戦況を一変させるという陸軍の軍事機密 「カンナカムイ」 をめぐり、軍需工場の関係者が次々と毒殺される。彼らの前に現れた連続毒殺犯 「スルク」 とは何者か。アイヌ出身の特高刑事・日崎八尋は、「拷問王」 の異名を持つ先輩刑事の三影らとともに捜査に加わることになるが、事件の背後で暗躍する者たちに翻弄されてゆく。陰謀渦巻く北の大地で、八尋は特高刑事としての 「己の使命」 を全うできるのか - 。 民族とは何か、国家とは何か、人間とは何か。魂に突き刺さる、骨太のエンターテイメント! (幻冬舎)
第21回大藪春彦賞・第72回日本推理作家協会賞受賞作
鉄の町の異名を取る室蘭は、大日本帝国随一の軍需工場の密集地帯であり、兵器の製造拠点である。
室蘭市の中心地、絵鞆半島の内側には、「御三家」 と称される、日本製鐵、日本製鋼、そして大東亜鐵鋼の巨大工場が並び、その周辺にも数多くの工場が連なっている。タンクとパイプが複雑に絡み合い、何本もの煙突が突き出た建物が並び立つ工場群の威容は、どこか怪物の群れのようだ。
これらの軍需工場は存在自体が軍事機密に指定されており、それぞれが秘匿名で呼ばれている。日本製鐵の工場は 『愛国第251工場』、日本製鋼は 『愛国第191工場』、大東亜鐵鋼は 『愛国第308工場』 といった具合だ。
大日本帝国が、アメリカとイギリスを相手取った戦争、大東亜戦争 (太平洋戦争) に突入してから、もうすぐ丸三年。今や室蘭の工場群の生産力は、戦争継続の生命線だ。
昭和19年(1944年)12月初旬。その頃、アイヌ出身の特高刑事・日崎八尋はある命を受け、御三家の一角、大東亜鐵鋼の 『愛国第308工場』 の雇われ集団 「伊藤組」 に潜入し、人夫としての日々を送っています。
『愛国第308工場』 の配下には、伊藤組のような朝鮮人の飯場がいくつもあり、それらを統括するのが大東亜鐵鋼 『愛国第308工場』 に勤務する軍人、金田行雄少佐でした。御三家の軍需工場は、事実上軍の支配下にあり、監督官として金田のような将校が勤務しています。金田は半島出身の朝鮮人で、ただ一人、八尋の正体を知っている “協力者” でした。
- おめを見込んで頼みたい。例の逃亡事件の解決んため、大東亜鐵鋼配下の飯場に潜入してくんねえべか。
およそひと月前、本部の特高課を訪れた男はそう言って、頭を下げた。
能代慎平警部補。室蘭署刑事課の主任刑事である。歳は四十だが、短く刈り揃えた髪に白いものが混じり、実年齢よりも少し年嵩に見える。
八尋は慌てて 「頭を上げてください」 と応じた。
その逃亡事件については、八尋も知っていた。
ある日の深夜、大山という人夫が、飯場から忽然と姿を消したのだ。他の人夫たちはみな昼間の重労働で疲れ切って熟睡しており、気づかなかったという。
翌朝、警察に連絡が入り、大東亜鐵鋼の職員たち、所轄の室蘭署の警察官、更には道庁警察本部の特高課員も加わっての大規模捜索が行われた。
飯場からは上手く逃げおおせた大山だったが、室蘭の東、登別を越えた辺りの海岸で逮捕された。海岸線を逃げるだろうと網を張っていたのが功を奏したかたちだ。(後略)
が、この取り調べで問題が起きた。
大山は逃走経路について 「下飯台の便所の小窓から逃げた」 と証言した。事実、くだんの小窓は開いていた。ただし、それは大の大人が抜け出すには、あまりにも小さいのだ。だからこそ他の窓のように鉄格子を嵌めていなかった。(本文より)
実は小窓から逃げたというのは嘘で、別の逃走経路があるのではないか - 。捜査員は再度飯場の下飯台を検めたのですが、結局秘密の抜け道のようなものは見つかりません。
大山に対する取り調べは苛烈を極め、拷問と呼ぶべきものになっていきます。しかし、そこまでしても大山の口を割ることはできません。なぜなら、その前に死んでしまったからです。事の真相は、いよいよわからなくなります。
ああまでして大山が吐かなかったのは、もしやして逃走経路を他の人夫に教えているからではないのか? だとしたら、今後、第二第三の逃亡が起きるかもしれない・・・・・・・
そう考えた地元室蘭署で捜査を仕切る立場の能代は、特高課の刑事を内偵として人夫の中に送り込むことを発案、八尋に白羽の矢を立てたのでした。
事は一人の人夫の逃走事件を発端に、ある毒殺事件を契機として国の存亡に関わる事態へと姿を変えていきます。それは同時に、八尋に対し 「人間とは何か」 という究極の命題を突きつけることになります。
この本を読んでみてください係数 85/100
◆葉真中 顕
1976年東京都生まれ。
東京学芸大学教育学部中退。
作品 「絶叫」「ロスト・ケア」「ブラック・ドッグ」「コクーン」「政治的に正しい警察小説」等
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