『静かにしなさい、でないと』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『静かにしなさい、でないと』朝倉 かすみ 集英社文庫 2012年9月25日第1刷

B (ブス) でW (わきが) の内海恵里伊は、幼い頃から華やかな名前と地味な容姿とのギャップに悩み、自信が持てずにいた。ある日、小学校で同級生だった川原谷くんと約十年ぶりに再会した恵里伊は、彼女とうまくいっていないという彼に優しく言い寄られるのだが・・・・・・・(「内海さんの経験」)。 どうして自分はこんな風に生まれてしまったのだろうか。現実に直面してもがきながらも、懸命に生きる人々を描いた短篇集。(集英社文庫)

内海さんは “うつみ” さんではなく “うちうみ” さんと読む。それはいい。問題は “恵里伊” という名前である。

聞くと相手は十中八九、カタカナの “エリー” をイメージする。エリーという名前に相応しい女性を勝手にイメージし、目の前の内海さんとの激しいギャップに (一瞬ではあるが) 言葉を失くしてしまう。内海さんの容姿と名前の間には、それほどの “乖離” がある。

内海恵里伊です。姓名を名乗っただけなのに、大抵くっきりと二度見される。エリー、ですか? といいたそうに相手の唇が動くのには慣れっこだ。親がサザンオールスターズのファンだったらしくて。苦笑しながら頭を下げるのも手慣れたものだ。酒が入った席なら、名曲に謝れといわれることもある。もちろん冗談だ。ちなみに 「いとしのエリー」 は名曲で間違いない。

なので内海さんは居酒屋の個室の畳にひたいをこすりつける。申し訳ありませんでした、といってみせる。居酒屋の個室の畳は刺身や靴下のにおいがする。それらにカビっぽさがブレンドされている。内海さんの腋の下からも似たようなにおいが立つ。内海さんは軽度の腋しゅう症なのだ。緊張すると、アポクリン腺からの分泌物が独自のにおいを発する。(P10)

腋しゅう症とは俗にいうわきがのこと。但し、内海さんはわきがとは絶対に言わないし、言いたくない。わきがのことを内海さんは個人的にWと呼んでいる。

付いた名前で要らぬ苦労を背負わされ、軽度のわきがを過度に気にする内海さんという女性はいったいにどんな人物かというと、ことのほか “普通” である。

内海さんにはこれといった欠点がない。自信が持てずにいるにはいるが、その年齢の女性として、彼女は至極真っ当に生きている。人後に落ちることなど微塵もない。地味な容姿のせいで、たとえ人から色目で見られていたとしてもだ。

内海さんの見るところ、周囲のひとたちは、内海さんのやることなすこと、なんとなく意表をつかれるようである。多くの場合はしみじみとした驚きようだ。そういえば、そんなことは想像していなかったなあというふうで、「そんなこと」 の範疇が尋常じゃなく広いらしいのが、内海さんには不思議である。

そうだよね、内海さんも絵文字でハートぐらいは使うよね、といわれたら、いたたまれない心持ちになる。携帯メールでハートの絵文字を使うことのどこが 「思い切った」 行為になるのかぜんぜん分からないんですけど。お腹のなかで噛みつくように不思議がってみる。(P9.10)

そんな内海さんに出会いがあったのは、およそひと月前のことだった。

正確にいうと再会だ。
小学校のとき同じクラスだった雑学好きの男子である。あのいやったらしいキャッチフレーズ - クレオパトラと楊貴妃を足して、うんこで割ってしまいました、というもの - ができあがるきっかけを期せずして作った男子は川原谷くんという。

6月10日、時の記念日、大型ショッピングセンターのフードコートで内海さんが会社帰りにアイスカフェオレをのんでいたら、声をかけられたのだった。(P26)

※その後の内海さんと川原谷くんの付き合いは、その年頃の独身の男女と同様につつがなく進行し、ある一定の成果を収めます。ところが、最後の最後に、あろうことか内海さんは予期せぬ暴挙に出ます。

この本を読んでみてください係数 85/100

◆朝倉 かすみ
1960年北海道小樽市生まれ。
北海道武蔵女子短期大学教養学科卒業。

作品 「肝、焼ける」「田村はまだか」「夏目家順路」「深夜零時に鐘が鳴る」「感応連鎖」「玩具の言い分」「ロコモーション」「恋に焦がれて吉田の上京」「平場の月」他

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