『妻が椎茸だったころ』(中島京子)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2024/01/11
『妻が椎茸だったころ』(中島京子), 中島京子, 作家別(な行), 書評(た行)
『妻が椎茸だったころ』中島 京子 講談社文庫 2016年12月15日第一刷
オレゴンの片田舎で出会った老婦人が、禁断の愛を語る「リズ・イェセンスカのゆるされざる新鮮な出会い」。暮らしている部屋まで知っている彼に、恋人が出来た。ほろにがい思いを描いた「ラフレシアナ」。先に逝った妻がレシピ帳に残した言葉が、夫婦の記憶の扉を開く「妻が椎茸だったころ」。卒業旅行で訪れた温泉宿で出会った奇妙な男「蔵篠猿宿パラサイト」。一人暮らしでなくなった伯母の家を訪ねてきた、甥みたいだという男が語る意外な話「ハクビシンを飼う」。5つの短篇を収録した作品集。第42回泉鏡花賞受賞。(アマゾン内容紹介より)
「ラフレシアナ」
ネペンテス・ラフレシアナは本来、東南アジアなどの熱帯ジャングルに自生する植物である。低温に弱く、たいへん高い温度を好む。低地の湿地や熱帯雨林の開けた草原や崖地に生育し、ほぼ毎日のようにスコールを浴びているという。
ハエトリ草の一種であるネペンテスは、虫を飲み込んで栄養にするいわゆる食虫植物で、立花一郎が〈ピッチャー〉と呼んだそれは昔の魔法瓶のような形で、ハート型をした蓋を持っています。蓋の裏には蜜らしき水滴がついています。
蓋のすぐ下の丸く開いた口には、つやつやした縁取りがあり、蜜に引き寄せられた虫は、襟と呼ばれる縁の部分に止まろうとするのですが、ひどく滑りやすくて、うっかり足を取られた獲物は、一気に壺の中に落ちるのだといいます。
ピッチャーの底には消化液があり、袋の内側には産毛のようなものが下を向いて生えていて、落ちた虫は二度と這い上がってこられない、死を待つのみです - 立花一郎はそう言い、亜矢に対し二週間、そんなネペンテスの世話をしてほしいと頼みます。
謂れない、とても他人にものを頼もうという態度ではなく、むしろやや人を小馬鹿にしたようなもの言いに、最初彼女は断ろうとします。しかし、如何にも不器用に見える立花に、他に頼む人がいないのだろうと、結局亜矢は花の世話を引き受けることになります。
二人は、知人の企画したパーティーでつい先日知り合ったばかりです。アカの他人同士で、たまたま住んでいる所が近かった。それだけの関係でしかありません。
亜矢は最初立花一郎のことを、気の毒ではあるけれど彼ばかりは生涯、女には無縁だろうと思っています。それくらい立花は変わった男で、(パーティーだというのに)いつも独りだったのです。ところが、その立花に恋人ができたと聞かされて、彼女はひどく驚きます。
パーティーを開いた友人からそのことを聞かされた数日後、亜矢が街中で彼とその恋人を見かけた時、思わず彼女は息を呑みます。
ああ、こういうことだったのかと思った。それならわかる。それなら理解できる。あの人ならやりかねない。そういうことも、あるだろう。しかしだからといって、驚きの気持ちは去らなかった。なぜなら、彼の恋人は、ネペンテス・ラフレシアナだったからだ。
それはもう似ているとか、そういうレベルの話ではなく、ネペンテス・ラフレシアナそのものなのでした。
ずんぐりした胴体、赤銅色の斑点が覆う黄緑色の体、びらびらした気味の悪い唇、趣味の悪いハート型の帽子。あんな巨大なラフレシアナのピッチャーを、彼はどこで見つけたのだろうかと、亜矢はあ然となって見つめています。
立花一郎の彼女となったネペンテス・ラフレシアナは、ずいぶん派手な、意地悪そうな顔をしています。- まずあの、びらびらした唇がよくない。胴長で腹が出ているところも品がない。
それでも、まるで意に介する様子もなく、ピッチャーの蔓の部分と仲良く手を繋ぎ、むやみにうれしそうに、そして堂々と闊歩する姿に - それは滑稽そのもので、笑わざるを得ない光景ではあったのですが、
眺める亜矢は、(世話を頼まれていたものよりはるかに)不細工なネペンテス・ラフレシアナに、彼女を横に、喜々としている立花一郎に、おそらくは、言い様のない嫉妬心を抱いています。
※この話がちょっと怖いと思うのは、実はこの後。亜矢の正体が知れたときです。他の作品も同様、上質な中島京子版「世にも奇妙な物語」を存分にご堪能ください。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆中島 京子
1964年東京都生まれ。
東京女子大学文理学部史学科卒業。
作品 「FUTON」「イトウの恋」「均ちゃんの失踪」「冠・婚・葬・祭」「小さいおうち」「眺望絶佳」他多数
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