『長いお別れ』(中島京子)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2018/03/26 『長いお別れ』(中島京子), 中島京子, 作家別(な行), 書評(な行)

『長いお別れ』中島 京子 文春文庫 2018年3月10日第一刷


長いお別れ (文春文庫)

中央公論文芸賞、日本医療小説大賞受賞作品。

もしも、もっと私が若ければ読みたいとは思わないだろう。たとえ読んだとしても、(その頃では)為にならない。リアルじゃないからだ。その頃の自分を思い出せばすぐわかる。たちまちの関心事が山ほどあり、目の前のことで精一杯な人間に、わかれと言う方が無理なのだ。

だが、いつ頃のことだったろう。「いずれ、自分の身にも(中に登場する東昇平に似た)症状があらわれるのでは」と、うっすら感じはじめたのは。この小説は、認知症を患った一人の男性の物語である。それと同時に、彼を取り巻く家族の物語でもある。

第一話「全地球測位システム」
幼い姉妹がいる。二人は、母親が近くの公園内にある児童遊園だと思い込んでいるのをよいことに、実は遠く離れた後楽園へ来ている。両親の帰宅が遅くなり、二人して「お留守番」を頼まれた日の夜のことだ。

二人はメリーゴーランドに乗ろうと思っている。瑠依がまだ赤ちゃんの頃、姉の優希は一度だけ、母に連れられ、終業間際の回転木馬に乗ったことがある。イルミネーションのきらめく後楽園の、そのきらきらとした遊具のことが忘れられないでいる。

ところが、メリーゴーランドの係のアルバイト男性は、子供だけでは乗せられないとめんどくさそうに言う。

「二人だけで来たの? 」「やばくねーの、それ」
「来ちゃいけない? 」「来てもいいけど、乗せれねーわ」
アルバイトの男は、にべもなくそれだけ言うと、また漫画に目を落とすのだった。

東曜子が三人の娘に電話をかけたのは、夫昇平の誕生日のふた月ほど前だった。結婚してそれぞれ家庭を持って久しい長女の茉莉と次女の菜奈は、父親の誕生日だからといって孫を連れて現れもせず、電話を寄こすか、小さなプレゼントを送ってくるのがせいぜいだったから、おそらく今年も顔を見せる気はないにちがいないと思われた。それでも曜子には少し思惑があって、この機に娘たちを呼び寄せておきたいと考えた。(P12)

かつて中学の校長だった東昇平の病名がはっきりしたのは、一昨々年のこと。頻繁に物がなくなり、記憶違いも続いていたその夏、昇平は過去数十年にわたって二年に一回、同じ場所で行われている高校の同窓会に辿り着くことができなかった。

で、・・・・・(途中は大幅にカットしています)・・・・・ 昇平の誕生日のプレゼントとして、三人の娘は母親のものと併せて二つの「老人向け携帯電話」を買うことにする。それは「お父さんが一人で出かけているとき、どこにいるかがわかる」GPS機能付き携帯電話だった。

師走も押し詰まったある日のこと。昇平は朝、今年最後の句会に行くといったきり、夕食の時間になっても帰ってこない。どうやら帰り道で迷っているようだ。携帯電話のGPS機能のおかげで現在位置は何とかわかるものの、昇平は何度かけても電話に出ない。

おそらくはコートのポケットに入っていて聞こえないまま、昇平は電車に乗り、電車を降りてまた違う電車に乗り、最後は新宿から地下鉄の丸ノ内線に乗り、とある駅の近くの一点に到着すると動かなくなった。昇平はもう電車に乗る気はないようだ。

優希は妹の瑠依の手を引いて、チケット売り場の前にいる老人に近づいた。「あれに乗りたいんだけど、大人がいないと乗っちゃいけないって言われたから、いっしょに乗ってくれますか? 」と言う。

昇平は自分がどうしてここにいるのかわからなかった。何をしに出てきたのかも、どうすれば帰れるのかも、忘れていた。ただ、目の前にゆるゆる回る観覧車を見つけて、惹きつけられるようにして歩いてきてここに立っていたのだった。

回転木馬の係のアルバイト男性は、また来たのかよ、と不審そうにしたが、「おじいちゃんといっしょなの」 優希が言うのに、「そうだよ。おじいちゃんだ」と、老人がうなずいたので、肩をすくめてゲートを開けた。

優希と瑠依の顔が電飾の下で嬉しそうに輝く。昇平は優希の隣の木馬にまたがり、係の男が勢いをつけて抱き上げた瑠依を脚の間に座らせた。音楽が鳴り、舞台が回り出し、木馬が上がったり下がったりしはじめた。

昇平はおお、と息を漏らし、脚の間にいる小さな女の子を片手でしっかり押さえた。回転木馬が光を撒き散らしながら夜の後楽園を回る。隣の女の子はときどき馬から片手を離して昇平に手を振って笑う。なんだかとてもよく知っているように感じられる温もり、熱といっしょに伝わってくる重みが昇平の腿と腹のあたりにあった。昇平の腹に体をあずけた小さな娘がとてもかわいらしい高い声で笑い、首をねじって見上げてくる。

この日何十回目かの振動をしているGPS機能付き携帯電話をコートのポケットに入れたまま、昇平は幼い娘たちと木馬に乗ってくるくると回り続けた。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


長いお別れ (文春文庫)

◆中島 京子
1964年東京都生まれ。
東京女子大学文理学部史学科卒業。

作品 「FUTON」「イトウの恋」「均ちゃんの失踪」「冠・婚・葬・祭」「小さいおうち」「眺望絶佳」「妻が椎茸だったころ」他多数

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