『ヤイトスエッド』(吉村萬壱)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/10 『ヤイトスエッド』(吉村萬壱), 作家別(や行), 吉村萬壱, 書評(や行)

『ヤイトスエッド』吉村 萬壱 徳間文庫 2018年5月15日初刷

近所に憧れの老作家・坂下宙ぅ吉が引っ越してきた。私は宙ぅ吉のデビュー作「三つ編み腋毛」を再読する。そして少しでも彼に近付きたいという思いを強くして -  「イナセ一戸建」を含む六篇のほか、文庫版特別書下ろしとして、作中登場する坂下宙ぅ吉のデビュー作「三つ編み腋毛(抄)」を収録した全七篇。淫靡な芳香を放つ狂気を描く、幻の短篇集が待望の文庫化。(徳間文庫)

これは「かたくななまでに変な女」を描いた短篇集です。表情のない女。不潔なものにとらわれた女。余計なものが何もない部屋で暮らす女、等々。どこかおかしいのです。

男は女と、あるいは男と、易々と関係を持ちます。あたかも定められたようにして、何ら拒む理由がないかの如く、躊躇なく体を開きます。(※ 但しその “逆” もまたしかり!! )

第五話「ヤイトスエッド
喫子に対する、会社の同僚である千紗の見立てはこうです。

喫子はいつもの笑顔を返してきた。八重歯が愛らしかったが決して心からの笑いではなく、顔の筋肉だけで作られた笑顔。最初は男でもいるのかと思ったが、二年間見てきてそんな気配は全くない。(中略) いつだったか、更衣室でストッキングの踵に大きな穴が開いているのを見た。しかし田舎から出てきた芋臭い吝嗇家で貯金だけが趣味というタイプでもなく、それなりに小綺麗にしていて、彼女の均整の取れた体を男性社員が褒めているのを聞いたこともあった。

確かに化粧などしなくても、保湿力に優れた白い肌だけで充分に美しい。千紗は自分の黒い乳首を思った。恐らく喫子は処女である。他人事とは言え、その宝の持ち腐れ振り一つ取っても、どこか釈然としない存在だった。(P154.155)

楽しみってあるの? と訊く千紗に対し、喫子は「ぐっすり眠る事」と答えます。千紗は何だか馬鹿にされたようで、一人暮らしの27歳の女がそれだけで心から満足して生きているなどという事があり得るだろうか。そんな事は絶対にあり得ない。と考えます。

喫子は見た目はいいものの、エロさがありません。”エロ” とは無縁の生活を送っています。子供のままでいたいという幼稚な精神の持ち主で、例えば、人も車もいない横断歩道であっても赤信号を無視することができません。

規則を遵守する事によって逆に何かを踏みにじったりしているのではないかという考えなど、喫子の幼稚な頭にはついぞ浮かんだ事のない “異端思想” なのでした。

千紗は本郷澄人と結託し、喫子を “貶めよう” とします。澄人をヤイトスエッドに扮装させ、彼女を “成敗” しようとします。ところが事の最中に及び、あろうことか本物のヤイトスエッドが現れて、喫子はすんでのところで難を逃れることとなります。

ときにヤイトスエッドが喫子に対し言う言葉。 ※これが笑えます。てか、なんで関西弁やねん!?  これ一編でもっと長いのを読んでみたくなります。 さわりを少々。

わしはヤイトスエッドや。むむむっ。わしは全能の存在や。尊敬せなあかんで。わしはあんたに関係ない存在やあらしませんで。わしはあんたがこの27年間どんなふうに生きてきたかっちゅう事、よう知っとんのや。

あんたは生まれてこの方、全然自信持てた事あらへんかったな。隠してもあかんで。全部お見通しなんや。全能の存在やで。尊敬しいや。あんた、ちょっとでも真っ当な道から外れまいとして、ずーっと汲々としてきよったわな。ほんま、つまらん人生やで。

鼠と一緒や。あんたは鼠以下のビビリや。そやけど心配せんでええで。あんたが正しい事をしようと努めてきたっちゅう事は、ちゃんと記録に残っとんのや。記録や記録。記録が命の商売ですわ。

ヒヤキオウガン知ってまっか? あの小さい銀の粒や。夜泣き疳の虫に効くっちゅうあれや。生まれたての無垢の魂っちゅうのはこのヒヤキオウガンの粒より小さいんや。どないやって見つけ出せっちゅうねん? 分かるか? あんたごとき愚か者に分かるわけないわな。

わしはあんたに、ヒヤキオウガンがどこに埋まっとるか教えたる事が出来るのや。わしは何でもお見通しの千里眼を持っとるさかいな。

ところがあんた、殆どの人間はヒヤキオウガンなんかに用はないんや。無垢な魂なんぞに、一体今日日誰が関心なんか示しまっかいな。連中の関心は、自分の寿命が尽きるまでの間を何とか安楽に過ごす事、この一点にしかないんや。(P174.175あたり/途中途中を大幅にカットしています)

やれ地球温暖化防止や、持続可能な発展や、核廃絶や、難民救済や、家族愛やというものに、反吐が出る。要するに人間というのはエネルギーの捌け口を求めているだけのことなのだ、と宣います。(続く

この本を読んでみてください係数 85/100

◆吉村 萬壱
1961年愛媛県松山市生まれ。大阪府大阪市・枚方市育ち。
京都教育大学教育学部第一社会科学科卒業。

作品 「ハリガネムシ」「クチュクチュバーン」「バースト・ゾーン」「独居45」「ボラード病」「臣女」「回遊人」他

関連記事

『BUTTER』(柚木麻子)_梶井真奈子、通称カジマナという女

『BUTTER』柚木 麻子 新潮文庫 2020年2月1日発行 木嶋佳苗事件から8年

記事を読む

『妖談』(車谷長吉)_書評という名の読書感想文

『妖談』車谷 長吉 文春文庫 2013年7月10日第一刷 ずっとそうなのです。なぜこの人の書

記事を読む

『色彩の息子』(山田詠美)_書評という名の読書感想文

『色彩の息子』山田 詠美 集英社文庫 2014年11月25日初版 唐突ですが、例えば、ほとん

記事を読む

『検事の信義』(柚月裕子)_書評という名の読書感想文

『検事の信義』柚月 裕子 角川書店 2019年4月20日初版 累計40万部突破 「佐

記事を読む

『とかげ』(吉本ばなな)_書評という名の読書感想文

『とかげ』吉本 ばなな 新潮社 1993年4月20日発行 注:この小説が発刊された時点での表記は

記事を読む

『森は知っている』(吉田修一)_噂の 『太陽は動かない』 の前日譚

『森は知っている』吉田 修一 幻冬舎文庫 2017年8月5日初版 南の島で知子ばあ

記事を読む

『雪の練習生』(多和田葉子)_書評という名の読書感想文

『雪の練習生』多和田 葉子 新潮文庫 2023年10月5日 6刷 祝 National Bo

記事を読む

『許されようとは思いません』(芦沢央)_書評という名の読書感想文

『許されようとは思いません』芦沢 央 新潮文庫 2019年6月1日発行 あなたは絶

記事を読む

『ファーストクラッシュ』(山田詠美)_ 私を見て。誰より “私を” 見てほしい。

『ファーストクラッシュ』山田 詠美 文藝春秋 2019年10月30日第1刷 初恋、

記事を読む

『悪人』(吉田修一)_書評という名の読書感想文

『悪人』吉田 修一 朝日文庫 2018年7月30日第一刷 福岡市内に暮らす保険外交

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『百合中毒』(井上荒野)_書評という名の読書感想文

『百合中毒』井上 荒野 集英社文庫 2024年4月25日 第1刷

『ジウⅡ 警視庁特殊急襲部隊 SAT 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ジウⅡ 警視庁特殊急襲部隊 SAT 』誉田 哲也 中公文庫 202

『ジウⅠ 警視庁特殊犯捜査係 SIT 』(誉田哲也)_書評という名の読書感想文

『ジウⅠ 警視庁特殊犯捜査係 SIT 』誉田 哲也 中公文庫 202

『血腐れ』(矢樹純)_書評という名の読書感想文

『血腐れ』矢樹 純 新潮文庫 2024年11月1日 発行 戦慄

『チェレンコフの眠り』(一條次郎)_書評という名の読書感想文

『チェレンコフの眠り』一條 次郎 新潮文庫 2024年11月1日 発

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑