『火口のふたり』(白石一文)_書評という名の読書感想文

『火口のふたり』白石 一文 河出文庫 2015年6月20日初版

火口のふたり (河出文庫)

『火口のふたり』 は、震災、原発事故から三年近く経ったところからスタートする。起業したものの、倒産の危機に瀕した男、賢治。従妹である直子の結婚式に出席するために、東京から、生まれ故郷である福岡に帰ってくる。家庭からも、社会からも拒絶された、どん詰まりの男。故郷は、地震、原発事故、そして、物語の後半で明らかになる新たなカタストロフィからも遠い場所にある。

直子の結婚相手である陸上自衛官の北野は、防衛大学を出た幹部候補生。国に仕え、その未来が約束された男。つまり、主人公の賢治とは、正反対の場所にいる。血縁関係にありながら、肉欲に溺れ、その出来事が忘れられずにいる賢治と直子。シェルターのような、聖地のような故郷で、二人は再び結ばれる。その先には破滅しかない二人が、幾度となく繰り返す、食事とセックス。

「この五日間の俺たちは、いわばヤケクソだったのだ」 という一文がある。そう、まるでヤケクソなのだ。この二人の、食へのこだわり、性器が脹れ上がるほどのセックスは。けれど、世界の終わりを目の前にして、その行為の過剰さが、なぜだかほのかな明るさや逞しさを感じさせるのだ。(窪美澄/解説より)

幼い頃の一時期、二人は兄妹のようにして暮らしていたことがあります。賢治が東京の大学に進学すると、後を追うように直子もまた東京で暮らすようになります。そのとき直子は20歳前。上京してすぐのこと、二人は愛し合うようになります。

しかし、賢治はその後別の女性と結婚し、娘が生まれ、やがて離婚することとなります。勤めていた銀行を辞め事業を起こすのですが、震災のせいで行き詰まり、倒産寸前にまで追い込まれています。娘と会うことは許されず、失意の日々を過ごしています。

直子は、賢治の結婚を機に東京を離れ故郷に戻り、父と二人暮らしをしています。その直子が結婚するといい、式に出るようにと連絡を受けた賢治は、それを理由に長い休暇を取ります。

二人が再会したのは結婚式の10日前。賢治は46歳。直子は36歳になっています。

誘ったのは、直子の方でした。「一度きり」 という直子の誘いが呼び水となり、その後の5日間、二人は、ひたすらセックスするだけの日々を過ごします。かつての日々を思い出すように、今在る自分を忘れるようにして求め合います。

この五日間、夢みたいに楽しかった、と直子は書いていた。彼女自身がそう言うのだからきっとそうだったのだろう。では、ひるがえって俺はどうだっか? 直子と再会し、セックス三昧の日々を送ったこの数日は夢みたいに楽しかっただろうか?

楽しかったと言えば楽しかったと思う。夢みたいだったかと問われれば、たしかにこんな法外な出来事が起こるなどとは夢想だにしていなかったのだから、夢みたいと言えなくもない。だが、「夢みたいに楽しかった」 かといえば、そうではないような気がする。この五日間の俺たちは、いわばヤケクソだったのだ。

ただ俺も直子もそれが 「いまだけ」 だからこそ、そんな大胆な真似ができたのだ。(P168.169)

このあと賢治は、生きる上での 「あとさき」について、こんな結論を下します。

過去を基礎に未来を生きることと、過去とも未来とも無関係にただひたすら現在を生きることとは全然違う。違うというよりも、過去から通ずる未来を生きるのと、本日ただいまを思う存分生きることとは常に対立する。未来のために棄て続けた今日のことを俺たちは 「過去」 と呼んでいるのだ。過去と未来とは血縁関係にあるが、「過去や未来」 と 「現在」 は赤の他人だし、往々にしてこの両者は仇敵同士だ。俺が大人になって身に沁みて知ったのは、その驚くべき事実だった。

いまやりたいことをやっていると、人間は未来を失い、過去に何も残せない。明日のために必死の思いで今日を犠牲にしたとき、初めて立派な昨日が生まれる。

俺たちは、よくよく煎じ詰めてみるなら、いつだって、いま本当にやりたいことをやらないで、いまやりたくないことばかりやっている。

何かに縛られ、何かを延々と諦め続けている人生。生きることとは一体何なのでしょう。ふとそう思う時、それが世界が終わろうとしている間際なら尚更、あなたは、私は、誰と何をして過ごしたいと願うのでしょう。

この本を読んでみてください係数  85/100

火口のふたり (河出文庫)

◆白石 一文
1958年福岡県福岡市生まれ。
早稲田大学政治経済学部卒業。父白石一郎は直木賞作家。双子の弟白石文郎も小説家。

作品 「一瞬の光」「不自由な心」「すぐそばの彼方」「僕のなかの壊れていない部分」「心に龍をちりばめて」「ほかならぬ人へ」「神秘」ほか多数

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