『魯肉飯のさえずり』(温又柔)_書評という名の読書感想文

『魯肉飯のさえずり』温 又柔 中央公論新社 2020年8月25日初版

魯肉飯のさえずり

ママがずっとわたしの恥部だった - 「もしも、あたしが日本人ならと思う」 就活に失敗し、逃げるように結婚を選んだ桃嘉。優しい台湾人の母に祝福されるも、理想だった夫に一つ一つ “大切なもの” をふみにじられていく - ことばを超えて届くのは、愛しいさえずり。台湾と日本のはざまで母娘の痛みがこだまする。心の声をとり戻す長篇小説。(中央公論新社)

【魯肉飯 (ルーローハン)】
魯肉飯は、台湾の代表的なソウルフード。スパイスとともに醤油で甘めに煮込んだ豚肉を、汁ごとご飯にかけ、高菜炒めなどを添えて楽しむ丼物。台湾では、総菜とともに楽しむのが一般的で、丼よりも小さい茶碗に盛られて出てきます。中華スパイスの八角・五香粉などを使うと、より現地の本格的な味に近づきます。多少くせがありますが、慣れるととてもおいしい味になります。「ルーローハン」 は日本での呼び名。台湾では 「ロバプン」 といいます。

日本人である父の異動に伴って、一家が台北から東京へ移り住んだのは、1993年のことでした。台湾人である妻の雪穂は、むしろそれを誇らしく感じています。夫に伴い日本に渡り、そこで家族で暮らすのは、彼女にとって至極自然なことでした。

ところが、そんな雪穂の心を砕いたのが言葉の壁でした。雪穂が話す、台湾語と中国語が入り混ざった片言の日本語に、敏感に反応したのが一人娘の桃嘉でした。桃嘉は、母の雪穂と段々と会話しなくなります。雪穂に対し、人前で話さないでほしいと思うようになります。

桃嘉は、母の雪穂が日本人ではなく台湾人であるということに、ひとり苦しい思いを抱えています。一方の雪穂は、桃嘉が成長するにつれ、母娘の間に見えない亀裂が生じ、ひとり心を痛めています。

「・・・・・・・ねむれないの? 」
いつ、目を覚ましたのだろう。夫の声がする。雪穂は顔を天井に向けたまま、もしも、と切り出す。

「もしも、あたしが日本人ならと思う」
沈黙は保たれたままだ。雪穂は唾を呑みこみ、続ける。
「そしたら、あたしはもっと、桃ちゃんと話できるのに。そしたら、桃ちゃんももっと、あたしと話できるのに」

ことばにしてゆくうちに、雪穂は確信を深めてゆく。そうであったのなら、自分の思いをもっとちゃんと桃嘉に伝えられるのに。桃嘉の思いも、もっとしっかり受けとめられるはずなのに。桃嘉が食べたいと思うものをつくって、桃嘉が何に忙しいのか理解して、もっと桃嘉にとって良い母親でいられるのに・・・・・・・もしも、自分が日本人なら何もかもが今よりもずっとうまくいっているはずなのに。

「そしたら、桃ちゃん、もっとしあわせなのに・・・・・・・」
馬鹿なことを言うんじゃないよ、と茂吉は言った。その語気は思いのほか強く、雪穂をびくりとさせた。(本文より)

桃嘉は日本で生まれ、日本で育ちます。母・雪穂と台湾へ行き、初めて祖母や伯母たちと会ったのは、彼女が3歳の時でした。それからは毎年欠かすことなく、母娘で連れ立っては台湾へ帰っていました。

母の実家がある淡水の町の景色。そこで嗅いだ空気の匂い。人の匂い。香辛料とともに肉を煮込む香りが、居間の奥の木彫りの祭壇で煙をくゆらす白檀の線香と入り混じっている、 その、台湾のにおい - が、桃嘉のなかの、案外深いところに隠れて残っています。

母・雪穂が作る魯肉飯は、今も昔も、桃嘉にとって何よりのご馳走でした。ある日、桃嘉は夫の聖司にと、八角入りの本格的な魯肉飯を作ります。ところが、聖司はそれを 「こういうの日本人の口には合わないよ」 と苦笑混じりに箸を置いたのでした。

誰もが羨むカップルだったはずの二人は、実は、互いに本音を隠したままの仮面の夫婦でした。陰で浮気を繰り返しては上辺ばかりを繕う聖司と、そうと知りつつ何も言えない桃嘉の関係は、日を置かず険悪な気配を帯びてゆきます。

この本を読んでみてください係数 80/100

魯肉飯のさえずり

◆温 又柔
1980年台湾・台北市生まれ。
3歳の時に家族と東京に引っ越し、台湾語混じりの中国語を話す両親のもとで育つ。

作品 「好去好来歌」「台湾生まれ 日本語育ち」「来福の家」「真ん中の子どもたち」「空港時光」「「国語」 から旅立って」等

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