『落英』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/13 『落英』(黒川博行), 作家別(か行), 書評(ら行), 黒川博行

『落英』黒川 博行 幻冬舎 2013年3月20日第一刷

大阪府警薬物対策課の桐尾と上坂は覚醒剤密売捜査の最中、容疑者宅で想定外のブツを発見した。発射痕のある中国製のトカレフ - 迷宮入りしている16年前の和歌山・南紀銀行副頭取射殺事件で使用された拳銃だった。ふたりは拳銃を調べる専従捜査を命じられ、射殺事件を担当していた和歌山県警の満井と手を組む。しかし、満井は悪徳刑事だった。桐尾と上坂は、事件当時に犯人と目されていた暴力団幹部に、発見した拳銃と同じものを売りつけるよう、満井に持ちかけられる。金さえあれば、いつでも女が抱ける - 。黒い欲望が、刑事を危険すぎる囮捜査に走らせる。(「BOOK」データベースより)

「日刊ゲンダイ」に連載されたものに加筆、修正を加えて単行本になったのが今から2年半程前の2013年3月。比較的最近の作品です。『落英』の「英」は花びらのこと、「落英」は散る花びら、または散った花びらのことを言います。

いわゆる「大阪府警シリーズ」や「疫病神シリーズ」とは別物で、主役となる2人はいつもと同じ大阪府警の人間なのですが、この小説にはもう一人、和歌山県警日高署盗犯係の「満井」という、正体の知れない、およそ警官らしからぬ人物が登場します。

話は中盤辺りでくっきり前後半に分れ、前半では大阪を舞台に覚醒剤密売に絡む大捕り物が展開されます。刑事部薬物対策課所属の桐尾と上坂はここで大層活躍し、うまくいけば府警本部長賞をもらえるほどの働きをします。2人は同期で独身、30歳半ばの刑事です。

ところが - それこそが本部長賞ものだったのですが - 彼らは、(結果として)ある「余計なこと」をして、従来の捜査から外されてしまいます。それはまさに捜査の佳境という場面。2人は、薬物よりもはるかに押収価値がある〈一丁の拳銃〉を発見します。

これがただの拳銃ではありません。発見された銃には発射痕があり、調べてみると16年前の和歌山・南紀銀行副頭取射殺事件で使用されたものだったのです。拳銃は中国製の真正トカレフ、事件はすでに時効が成立し、解決せぬまま迷宮入りになっています。

桐尾と上坂は「特命による専従捜査」と称して担当を外され、和歌山県警と連携してトカレフを洗えと命じられます。そんな限りなく無駄な、しかも管轄違いの事件を追う様子が語られるのが後半で、そこへ登場するのが「満井」という警察官です。

とりあえず、半年・・・去年の内に時効を迎え、迷宮入りした事件の捜査に半年、しかも2人きりで、あとは自分の判断で動けと言われるだけ。取調べの途中で呼ばれ、昼を食ったらすぐに和歌山へ行け、和歌山南署で署長の松尾に会って話を聞けと言われます。

松尾から紹介された満井は盗犯係の巡査部長、去年の7月に時効を迎えるまで南紀銀行事件の継続捜査を担当していた人物です。聞けば2人と同様に、満井も県警本部から専従捜査を命じられています。3人は似た者同士、体良く遠ざけられて邪魔者扱いされています。
・・・・・・・・・・
結構ここまでが長くて、半分から後は別の話に感じられたりもするのですが、面白いのは断然後半です。そのための少し長目のフリだと思って前半を読んで下さい。大阪の覚醒剤密売事件と和歌山の事件は、思わぬところで繋がっています。

それにつけても、際立って面白いのが満井という男です。満井は痩せて色が黒く、額が狭くて度の強そうな銀縁眼鏡をかけています。何より目を引くのが満井のいでたちで、まるで警察官らしからぬ、ある日の満井はシャブの売人みたいな恰好をしています。

黒の開襟シャツにだぶだぶの麻のズボン、メッシュの革靴。トレードマークのパナマ帽を目深に被った姿は売人さながらで、「職務質問されますよ」と上坂が笑うと、満井はさもうっとうしそうに唇をゆがめて、「さっき、制服警官がふたり来よったわ」などと答えます。

飲む打つ買うのやりたい放題で、何を金蔓にしているのか正体が知れません。満井は端からやる気がありません。桐尾と上坂に初めて会った日、満井は「ま、お陽さん西々で行こかい」などと言います。関西の諺で「仕事はせずとも日は暮れる」という意味です。

旨いものを食い、上等な酒を飲み、女と遊ぶ隙間を縫うようにして3人は捜査を進めて行きます。そして、あろうことか満井は、南紀銀行事件で使われたのと同じ拳銃「中国製トカレフ・M54」を手に入れて、囮捜査をしようと言い出します。

大阪で発見された時と同じ状態 - ビニールの風呂敷に包まれて、中は油だらけの新聞紙と薄茶色の布が巻かれていた - にして、目星をつけた暴力団・黒鐵会の米田のところへ持って行き、これを買えと誘いをかけろと言うのです。

刑事が極道にチャカを売る - 満井の、あまりに危険すぎる囮捜査の提案に応じるべきか否か。桐尾と上坂は、すぐに返事ができません。馘を賭けてまでする捜査かどうかが分からぬまま、2人は今、進退を賭けた重大な決断をしようとしています。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆黒川 博行
1949年愛媛県今治市生まれ。6歳の頃に大阪に移り住み、現在大阪府羽曳野市在住。
京都市立芸術大学美術学部彫刻科卒業。妻は日本画家の黒川雅子。

作品 「二度のお別れ」「左手首」「雨に殺せば」「ドアの向こうに」「絵が殺した」「離れ折紙」「疫病神」「国境」「悪果」「螻蛄」「文福茶釜」「煙霞」「暗礁」「破門」「後妻業」「勁草」他多数

関連記事

『緑の毒』桐野夏生_書評という名の読書感想文

『緑の毒』 桐野 夏生 角川文庫 2014年9月25日初版 先日書店に行ったとき、文庫の新刊コー

記事を読む

『ニシノユキヒコの恋と冒険』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『ニシノユキヒコの恋と冒険』川上 弘美 新潮文庫 2006年8月1日発行 ニシノくん、幸彦、西野君

記事を読む

『連鎖』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『連鎖』黒川 博行 中央公論新社 2022年11月25日初版発行 経営に行き詰った

記事を読む

『なめらかで熱くて甘苦しくて』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『なめらかで熱くて甘苦しくて』川上 弘美 新潮文庫 2015年8月1日発行 少女の想像の中の奇

記事を読む

『どこから行っても遠い町』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『どこから行っても遠い町』川上 弘美 新潮文庫 2013年9月1日発行 久しぶりに川上弘美の

記事を読む

『人間に向いてない』(黒澤いづみ)_書評という名の読書感想文

『人間に向いてない』黒澤 いづみ 講談社文庫 2020年5月15日第1刷 とある若

記事を読む

『熱源』(川越宗一)_書評という名の読書感想文

『熱源』川越 宗一 文藝春秋 2020年1月25日第5刷 樺太 (サハリン) で生

記事を読む

『感染領域』(くろきすがや)_書評という名の読書感想文

『感染領域』くろき すがや 宝島社文庫 2018年2月20日第一刷 第16回 『このミステリーが

記事を読む

『ウィステリアと三人の女たち』(川上未映子)_書評という名の読書感想文

『ウィステリアと三人の女たち』川上 未映子 新潮文庫 2021年5月1日発行 大き

記事を読む

『明日も会社にいかなくちゃ』(こざわたまこ)_書評という名の読書感想文

『明日も会社にいかなくちゃ』こざわ たまこ 双葉文庫 2023年9月16日第1刷発行

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『ついでにジェントルメン』(柚木麻子)_書評という名の読書感想文

『ついでにジェントルメン』柚木 麻子 文春文庫 2025年1月10日

『逃亡』(吉村昭)_書評という名の読書感想文

『逃亡』吉村 昭 文春文庫 2023年12月15日 新装版第3刷

『対馬の海に沈む』 (窪田新之助)_書評という名の読書感想文

『対馬の海に沈む』 窪田 新之助 集英社 2024年12月10日 第

『うたかたモザイク』(一穂ミチ)_書評という名の読書感想文

『うたかたモザイク』一穂 ミチ 講談社文庫 2024年11月15日

『友が、消えた』(金城一紀)_書評という名の読書感想文

『友が、消えた』金城 一紀 角川書店 2024年12月16日 初版発

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑