『 A 』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『 A 』中村 文則 河出文庫 2017年5月20日初版


A (河出文庫)

「一度の過ちもせずに、君は人生を終えられると思う? 」 女の後をつける男、罪の快楽、苦しみを交換する人々、妖怪の村に迷い込んだ男、首つりロープのたれる部屋で飛び跳ねる三つのボール、無情な決断を迫られる軍人、小説のために、身近な女性の死を完全に忘れ原稿を書き上げてしまった作家 - 。いま世界中で翻訳される作家の、多彩な魅力が溢れ出す13の「生」の物語。(河出文庫)

著者2冊目の短篇集。2007年~2014年までに書かれた作品が集められています。

趣きの異なった多彩な作品を読むことができます。時に抽象的(あるいは観念的というのでしょうか)、時にえらく生々しくもありますが、共通して描かれているのは「生」。長編に繋がる〈源泉〉を垣間見るようでもあります。

中で強烈なのが「A」。そして「B」。さすが、タイトルになるだけのことはあります。

A
「目の前に首がある。私はどうやら刀を持っている。」- こんな書き出しで始まる「A」という作品は、山東省のとある戦地が舞台となっています。

〈遅れて戦地に駆り出された〉やや年長の私は、支那人の捕虜を前にして、〈四つ子のような貧弱な上官達〉に囲まれ、「早く斬れ」と繰り返し言われ続けています。

人を殺したことなどない私が、目の前にいる人間の首を刎ねろと言われ、刀を握る腕や手首は自ら意志を持ったように硬直し、私は何度も深く息を吸わなければなりません。が、それでも呼吸による弛緩は胸部に留まったまま、二つの腕には伝わろうとしません。

理不尽で容赦のない要求に一度は抗いもするのですが、事ここに至って私は、もう斬ればいい、と思っています。ここは戦場で、周りがそうしているのだから、自分もその流れに身を預ければいい。これが世界なのだから、と。

それでも身体は動こうとしません。目の前には〈首〉があります。垢がこびりつき、明らかに栄養の足りない萎びた首。それが私の前に、私の未来を遮る行き止まりの壁として存在し、その首が支那人の頭と胸部を分離しない限り、私の時間は動いてはくれないのです。

逡巡は続き(この辺りは本編でじっくりお読みください)、遂には「皇軍としての誇りにかけて(狂った)男は斬れない」とまで私は言い切ります。それに対し、上官のうちの誰かが抑揚のない静かな声で「黙れ」と言い、「これはお前が考えているようなことじゃない」と言います。

なぜ殺さなければならないかの理由を聞くと、私は自分でも思っていないことを言い出します。「畏くも天皇陛下は、我々がこのような無抵抗な狂人を殺害することをお許しになるでしょうか」という問いかけに、上官達は酷く驚いたという顔で、

「お前は何を言ってるんだ? 」「陛下がお許しになるわけがないだろう? 」と、言い返します。

私は茫然と上官達を見、私達が同じ孤独の中にいたのに気づく。周囲の全てが、自分の身体の中に染みこんで来るように思う。意識の隅で、今ならこの首を斬れると思っていた。(本文より)

この劇的な変化のあと、とうとう私は殺人を実行するに至ります。その成果に上官達は私を褒め称え、私は、「それでいい」という彼らの親密な言葉にすがろうとします。上官が私の背に手を置くと、私はその大きな手の感触に父のような温かさを感じます。

私の目の前に、(この先率いる予定の)部下達が姿を見せます。彼らは私が殺した支那人の無残な死体を見、笑みを浮かべ、やがて私の顔を畏怖の念で見始めます。私の内面は誇らしさに包まれ、私は自分の変化に自分を心地よく預けていきます。

私がお前達の上官だ。私は支那人などどのようにでも扱う。私は不意に彼ら部下達に強烈な親しみを感じる。退路もなく、歴史から断絶され、そしてもうすぐ無残に死ぬだろう彼らに。

彼らが生きている間に、何かの褒美を与えたい。女を見つけたら彼らに与えよう。彼らに喜んでもらいたいから。私が自ら女を押さえつけ、彼らの行為がよりスムーズに荒々しくなるように手伝ってやろう、などと思いを巡らしています。

部下達が私を囲む。笑顔に満ちている。私はこれほど人間を愛したことがなかった。

そう結ばれてこの話は終わります。「私」が味わう心の変遷をしかと確認ください。そして「B」。「B」もまた強烈です。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


A (河出文庫)

◆中村 文則
1977年愛知県東海市生まれ。
福島大学行政社会学部応用社会学科卒業。

作品 「銃」「遮光」「悪意の手記」「迷宮」「土の中の子供」「王国」「掏摸〈スリ〉」「何もかも憂鬱な夜に」「最後の命」「悪と仮面のルール」他多数

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