『泳いで帰れ』(奥田英朗)_書評という名の読書感想文

『泳いで帰れ』奥田 英朗 光文社文庫 2008年7月20日第一刷


泳いで帰れ (光文社文庫)

8月16日、月曜日。朝の品川駅はいつもどおりの通勤ラッシュであった。サラリーマンやOLたちが忙しそうに先を急いでいる。普段とちがうものといえば、なんとなく人々の表情が暗いことだ。

お盆休みが終わって、最初の月曜日だった。バカンス明けの朝が楽しいという人間は、よほどの会社人間か、家に居場所がないかのどちらかだ。これから、退屈な日常が始まる。電話をかけて、人と会って、議論して、電卓をたたく。

上司は思いつきでものを言うし、部下はその場しのぎでものを言う。もちろん充実した人生は仕事抜きに語れないが、それでも人間は、自由に遊んでいる方が楽しいに決まっている。仕事とは、いやなものだ。

駅の喧噪をよそに、8時49分発の成田エクスプレスに乗り込み、成田空港からアテネへ。108年振りに発祥の地に還ったオリンピック・ゲームへと、その人はまさに今旅立とうとしています。

かっかっか。通勤途中のみなさん、ごめんなさい。日本中の勤労者たちが動き出した日に、アテネだと。一般ピープルからすれば、小説家などという職業は遊び人に等しいだろう。誰にも頭を下げず、命令もされず、勝手気ままに生きている。しかも旅をして文章を書けば、原稿料というものが入ってくる。

再度ここで「かっかっか」と高笑い・・・・と思いきや、実のところは、奥田英朗は(バカンス明けのサラリーマンと同様に)ひどく冴えない顔をしています。浮き立つような気持ちがまるでありません。本心を言えば、海外になど行きたくはなかったのです。

みなに問いたい。どうしてそんなに海外に出かけるのか。言葉は通じないし、勝手はちがうし、不便なことだらけではないか。おまけに飛行機だって(たまに)落ちる。昨今はテロの不安もある。自分は大丈夫なんて、どうして言い切れる?

好奇心旺盛だったのはせいぜい30代の初めまでで、あとはひたすら億劫なだけだったといい、晴れて日本へ戻ったときのうれしさばかりを語ります。自分は生来の面倒臭がり屋で、ヴァイタリティなんてものは10年前に消失した。行動派ではないのだと言います。

じゃあどうしてわたしは旅に出るのかって? それはもう、行ったやつが威張るからに決まっているのである。

始まって8ページ余り、こんな〈うだうだ〉した話が続きます。

これは小説ではありません。出不精を自認する著者の滅多とない海外「旅行記」、ふとしたはずみで実現なったアテネ・オリンピックの「観戦記」です。

主たる目的は、野球観戦。期間は10日間。「長嶋ジャパンの戦いぶりを観てみたい」と言ったのが発端であれよあれよという間に、奥田英朗は思いもよらない〈旅〉をすることになります。

なぜタイトルが 『泳いで帰れ』 なのか? わかればきっと - 笑わずにいられなくなります。

 

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泳いで帰れ (光文社文庫)

◆奥田 英朗
1959年岐阜県岐阜市生まれ。
岐阜県立岐山高等学校卒業。プランナー、コピーライター、構成作家を経て小説家。

作品 「ウランバーナの森」「最悪」「邪魔」「空中ブランコ」「町長選挙」「沈黙の町で」「無理」「噂の女」「ナオミとカナコ」「向田理髪店」他多数

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