『夜明けの音が聞こえる』(大泉芽衣子)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2020/05/20
『夜明けの音が聞こえる』(大泉芽衣子), 作家別(あ行), 大泉芽衣子, 書評(や行)
『夜明けの音が聞こえる』大泉 芽衣子 集英社 2002年1月10日第一刷
何気なく書棚を眺めていて目に付いたので抜き出してみると、帯は綺麗に残っていてアンケートはがきや新刊案内のチラシも挟まったままでした。
ということは、おそらく、いや間違いなく私はまだこの本を読んではいなかったのです。
初めて見る名前で帯に何かの文学賞を受賞した本だと書いてあれば、とりあえず手あたり次第に買っていた時期がありました。
新人の本が好きで、賞の付くものに弱かったのです。この本もきっとそんな動機で買った中の一冊だと思いますが、やっと読む機会が巡ってきたということです。
・・・・・・・・・・
歴彦という珍しい名前の高校生が主人公です。
歴彦は一人遊びに耽るうちに、一言も話さずにどれくらいの時間をすごせるかという遊びを思いつきます。
失敗したときの罰まで決めて、歴彦は自ら声を封じ込めるのですが、気が付くと本当に声が出なくなってしまっていたのです。
学校へは行かず、家族も遠ざける歴彦ですが、母親が探してきた施設に通い治療を受けることになります。
治療の一環として犬吠埼にある観光ホテルで働くことになった歴彦ですが、声が出ないせいでなかなか周囲に溶け込めず、仕事も要領よく出来ません。
あるとき、誤解がもとで仕事仲間から執拗ないじめを受けたために、歴彦はホテルを辞めて家に帰ることになります。
ホテルを辞めたあと歴彦は新聞配達の仕事を始めるのですが、これも長続きはしません。雨の朝、無理やり起き出して配達には出たものの、夕刊の配達は休んでしまうのでした。
その日、空腹を満たすために入ったイタリアン・カフェで、とうとう我慢の限界を超えた歴彦は暴れ出し、店員が止めるのを振り切って逃げ出します。
それは、店内の猥雑な「声」や下品な「音」に耐えられなかったこと。隣の老婆がひとり食べ慣れないピザを無様に掬う姿が、どうにも始末に負えないものに思えたこと。
それらが、犬吠で受けた惨いいじめを喚起した結果でした。
歴彦が抱える悩みは間違いなく現代ならではのもので、実生活とはかけ離れた心の隙間に浮遊するわがままな代物です。
「平凡で安穏とした過去を恥じていた」とは何と贅沢で、大胆な言い分でしょう。欲しかったのは病ではなく、「クライマックスの予感」だと言うのです。
どうせ不幸なら中途半端なものでなく、絶望的に不幸でありたい。小さなかすり傷ではなく、命の瀬戸際で呻くような深傷を負いたい。
時として人はネガティブな願望に憑りつかれてしまうことがあります。自らの出目や他者との関係性を素直に受け入れられないような場合、その傾向は顕著になるはずです。
結果はどうあれ、作者が伝えたかったことは、多くの人に内在するその理不尽な衝動のかたちだったのです。
この小説は、第25回のすばる文学賞を受賞しています。髪はショートで丸顔の、ボーイッシュな姿の作者が他の受賞者と並んで案内チラシに掲載されています。
誕生日から逆算すると、写真に写る大泉芽衣子はまだ20歳の後半という若さです。
その後数冊の本は出しているようですが、残念ながら最近のものは見当たりません。
この本を読んでみてください係数 75/100
◆大泉 芽衣子
1973年埼玉県北葛飾郡生まれ。
早稲田大学第二文学部卒業。
作品 「降ろされた物語のために」「PLUTO」「父と遊んで」など
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