『指の骨』(高橋弘希)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/11 『指の骨』(高橋弘希), 作家別(た行), 書評(や行), 高橋弘希

『指の骨』高橋 弘希 新潮文庫 2017年8月1日発行

太平洋戦争中、激戦地となった南洋の島で、野戦病院に収容された若き兵士は何を見たのか。圧倒的リアリティで選考委員を驚愕させた第46回新潮新人賞受賞の新世紀戦争文学。

死を覚悟したのではなく、死を忘れた。そういう腹の決め方もあるのだ。果たしてこれは戦争だろうか。我々は誰と戦うでもなく、一人、また一人と倒れ、朽ちていく。これは戦争なのだ、呟きながら歩いた。これも戦争なのだ。しかしいくら呟いてみても、その言葉は私に沁みてこなかった - 。34歳の新鋭が戦争を描き、全選考委員絶賛で決まった新潮新人賞受賞作にして芥川賞候補となった話題作。(「BOOK」データベース及び商品紹介より)

巻頭には、こんな禅問答が書いてあります。

童子も亦指頭を竪(た)つるに因って、胝聞いて遂に刀を以て其の指を絶つ。「無門関」

隻手の音声(おんじょう)を聞け。「藪柑子」
・・・・・・・・・
ある月夜のことだった。女房と子供によろしく伝えてくれ、遺髪でも骨でも構わないから、内地に届けてくれ、そう言い残して死んだ兵がいた。近くにいた何人かの兵が、彼の前で合掌した。誰かが指を切り落とし、誰かが火を熾こした。

指の骨、女房に届けてやっからよぅ、ちゃんと成仏してくれよな。誰かが呟くと、何人かは目に涙を浮かべた。涙を浮かべた兵は、自分の女房や、子供のことを思い出したのだろう。しかし指を火の中へ放ると、その場の空気は一変した。

炎の陰影が涙を浮かべた男たちの顔面を真っ赤に染めていた。赤い涙の溜まった瞳には、欲望が宿っていた。辺りに肉の焼ける匂いが漂い始めたものだから。私は頭がくらくらとするのを感じながら、月光の下で焚き火を囲む輪を、やや離れた場所から眺めていた。

戦火。疲弊し、傷を負った多くの兵は、為すすべもなく火を焚いています。死んだ兵を悼む気持ちに嘘はなく、しかしそれよりも尚、彼らは腹を空かせています。それは尋常の程度ではなく、一歩間違えば、彼らはやすやすと鬼畜へと姿を変えます。

薄い綿雲の漂う怖ろしく澄んだ空を、米軍機が編隊を組んで飛んだ。米軍機の腹は、私の頭上を覆う、樹木の枝葉へと隠れた。エンジン音の低い唸りに、枝葉は揺れた。轟音はしだいに遠ざかり、やがて遠く空の中で途絶えた。

どうしてカーチスはやってこないのだろう。あの首に白いマフラーを巻いた米軍兵が、機銃を撃ち込めば、私は掌の中にある鉄の塊を、使うまでもない。

黄色い街道のどこかで、またドサリと聞こえた。米軍機のもたらした〈そよ風〉によって死んだのだろう。僅かな環境の変化で、最後の細い線が切れてしまう。細い線ではなく、点線のようなものかもしれない。あるとき点線が、点を刻まなくなる。

自分の肋骨をトントンと叩いてみると、腹の中からポンポンと聞こえてきた。水の響く音だ。飢餓の症状が出始めると、腹の中に水が溜まると聞いた。水を飲んでいないのに、水が溜まることもあるのだろうか。私は憑かれたように腹を弾き続けた。私は腹の水を飲みたかった。-

ここまでくれば死んだ方がいい。できれば自決(鉄の塊とは手榴弾のこと)するより、敵に撃たれて一気に死にたい。私は今ある状況から一刻も早く解放され、とにもかくにも、楽になりたいというその一念のみになりつつあります。

※ 何があって、彼(高橋弘希)はこんな話を書いたのか。どうで「禅問答」をするような事態に立ち至ったのか。それが知りたいと思います。

この本を読んでみてください係数  85/100

◆高橋 弘希
1979年青森県十和田市生まれ。ミュージシャンでもある。
文教大学文学部卒業。

作品 「朝顔の日」「スイミングスクール」「日曜日の人々」など

関連記事

『噛みあわない会話と、ある過去について』(辻村深月)_書評という名の読書感想文

『噛みあわない会話と、ある過去について』辻村 深月 講談社文庫 2021年10月15日第1刷

記事を読む

『これからお祈りにいきます』(津村記久子)_書評という名の読書感想文

『これからお祈りにいきます』津村 記久子 角川文庫 2017年1月25日初版 高校生シゲルの町には

記事を読む

『屋根をかける人』(門井慶喜)_書評という名の読書感想文

『屋根をかける人』門井 慶喜 角川文庫 2019年3月25日初版 明治38年に来日

記事を読む

『青春ぱんだバンド』(瀧上耕)_書評という名の読書感想文

『青春ぱんだバンド』瀧上 耕 小学館文庫 2016年5月12日初版 鼻の奥がツンとする爽快青春小説

記事を読む

『夜の谷を行く』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『夜の谷を行く』桐野 夏生 文芸春秋 2017年3月30日第一刷 39年前、西田啓子はリンチ殺人の

記事を読む

『遊佐家の四週間』(朝倉かすみ)_書評という名の読書感想文

『遊佐家の四週間』朝倉 かすみ 祥伝社文庫 2017年7月20日初版 羽衣子(ういこ)の親友・みえ

記事を読む

『八日目の蝉』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『八日目の蝉』角田 光代 中央公論新社 2007年3月25日初版 この小説は、不倫相手の夫婦

記事を読む

『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』(滝口悠生)_書評という名の読書感想文

『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』滝口 悠生 新潮文庫 2018年4月1日発行 東北へのバ

記事を読む

『アルジャーノンに花束を/新版』(ダニエル・キイス)_書評という名の読書感想文

『アルジャーノンに花束を/新版』ダニエル・キイス 小尾芙佐訳 ハヤカワ文庫 2024年5月15日

記事を読む

『鍵のない夢を見る』(辻村深月)_書評という名の読書感想文

『鍵のない夢を見る』辻村 深月 文春文庫 2015年7月10日第一刷 誰もが顔見知りの小さな町

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『鑑定人 氏家京太郎』(中山七里)_書評という名の読書感想文

『鑑定人 氏家京太郎』中山 七里 宝島社 2025年2月15日 第1

『教誨師』 (堀川惠子)_書評という名の読書感想文

『教誨師』 堀川 惠子 講談社文庫 2025年2月10日 第8刷発行

『死神の精度』(伊坂幸太郎)_書評という名の読書感想文

『死神の精度』伊坂 幸太郎 文春文庫 2025年2月10日 新装版第

『それでも日々はつづくから』(燃え殻)_書評という名の読書感想文

『それでも日々はつづくから』燃え殻 新潮文庫 2025年2月1日 発

『透析を止めた日』 (堀川惠子)_書評という名の読書感想文

『透析を止めた日』 堀川 惠子 講談社 2025年2月3日 第5刷発

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑