『犬婿入り』(多和田葉子)_書評という名の読書感想文

『犬婿入り』多和田 葉子 講談社文庫 1998年10月15日第一刷


犬婿入り (講談社文庫)

多摩川べりのありふれた町の学習塾は〈キタナラ塾〉の愛称で子供たちに人気だ。北村みつこ先生が「犬婿入り」の話をしていたら本当に〈犬男〉の太郎さんが押しかけてきて奇妙な二人の生活が始まった。都市の中に隠された民話的世界を新しい視点でとらえた芥川賞受賞の表題作と「ペルソナ」の二編を収録。(講談社文庫)

「北村先生がね、一度使った鼻紙でもう一度鼻を拭くとやわらかくて暖かくてシットリして気持ちがいいですよ、そうやって二度使った鼻紙を、三度目には、お手洗いでお尻を拭く時に使うと、もっと気持ちがいいですよって言っていたよ」

子供たちに向かってこんなことを言うみつこ先生は、実はとても美人な女性です。

39歳で独り身、いつの間にかここに住み着いて塾をはじめた先生はとかく噂の多い人物で、東南アジアかアフリカか、そんな遠い土地を長年放浪していたのではないかと憶測されたり、昔ヒッピーだったのではと疑われたり、

テロリストの指名手配のポスターに彼女そっくりな顔の写真があったと言われたりします。ところが実際の彼女は擦り切れたもんぺのようなものをはいて洒落たサングラスをかけ、嬉しそうにポーランド語の小説を読んでいる、噂とはおよそ違う人物です。

彼女は、どこか超然としたところがあります。ニワトリの糞を煮て作ったという膏薬をむき出しの肩に載せ、肩が凝って気がめいるからと平然と正座していたりします。

そのとき着ているのは桃色のよれよれのタンクトップで、生地を通して透けて見えそうな乳房を一向に気に掛ける気配もありません。それどころか、男の子たちが来たらどうするのと女の子たちが尋ねると、笑いながらタンクトップの右の紐をずらし、わざと豊かな乳房を出して見せます。

八月に入って、塾も夏休みになって間もないある日、二十七、八の男がひとり、古風な革のトランクを持ってキタムラ塾を訪れ、真上から太陽に照らされながら、汗もかかずに、短く刈り上げた髪の毛や、真っ白なワイシャツ、折り目のついたズボン、磨き上げた革靴など、どこから見ても北村みつこの友達といった感じではなかったが、みつこの家の事ならば隅々まで知り尽くしているといった様子で、垣根の壊れたところから庭に入り、みつこが、髪を振り乱し、半分裸のような格好をして、マウンテンバイクを修理しているのを見ると、ためらわずに近づいていって、
「お世話になります」
と言い、みつこが目をきょろっと動かしてから、勝手に開いた口を閉じることも忘れて、言うべき言葉が見つからないので、指先でしきりと喉元を触っていると、男は音もたてずにトランクを縁側に置くと、時計を腕からはずして、水でも切るように二、三度、激しく振ってみせ、それからにやりと笑って、
「電報、届きましたか」
と言った。(原文のまま、これで一文。こんな文章が繰り返し出てきます)

この男こそが犬男。否、太郎という人物です。

太郎はそのあとすぐに続けて、大きな手のひらでみつこの腰を左右から摑んで軽々と持ち上げ、みつこのショートパンツをするりと脱がし、自分はワイシャツもズボンも身につけたまま、礼儀正しく、あおむけに倒れたみつこの上にからだを重ねて、犬歯をみつこの首の肌の薄そうなところに慎重に当てて、押しつけ、チュウチュウと音を立てて吸います。

みつこの顔は次第にあおざめてきて、それからしばらくすると、今度は急に赤くなって、額に、汗が吹きだし、ねばついてきて、膣に、つるんと滑り込んできた、何か植物的なしなやかさと無頓着さを兼ね備えたモノに、はっとして、あわてて逃れようとして、からだをくねらせると、男は、みつこのからだをひっくりかえして、両方の腿を、大きな手のひらで、難無く摑んで、高く持ち上げ、空中に浮いたようになった肛門を、ペロンペロンと、舐め始めた。

みつこが思わず手を伸ばし、太郎の髪に触れると、それはタワシの毛のように堅く、その下の肌は牛革のように強くなめらかで、みつこは魅せられたようにその頭を撫で回します。太郎は何も言わず、しばらく真面目な顔をしています。

が、突然、下半身に何もつけていないみつこをそこに残して台所へ駆け込み、もやしを炒め始めた。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


犬婿入り (講談社文庫)

◆多和田 葉子
1960年東京都生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業。ハンブルク大学修士課程修了。チューリッヒ大学博士課程修了。ベルリン在住。

作品 「かかとを失くして」「ヒナギクのお茶の場合」「球形時間」「容疑者の夜行列車」「尼僧とキューピッドの弓」「雪の練習生」「雲をつかむ話」「献灯使」他多数

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