『さくら』(西加奈子)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2020/08/28
『さくら』(西加奈子), 作家別(な行), 書評(さ行), 西加奈子
『さくら』西 加奈子 小学館 2005年3月20日初版
「この体で、また年を越すのが辛いです。ギブアップ」
紙切れにそう書き残して、一(はじめ)兄ちゃんは公園で首を吊って死んでしまったのでした。
「年末、家に帰ります。おとうさん」- 家出した父・昭夫から手紙を受け取り、薫が帰省したのは大晦日の前日でした。昭夫が家を出たのは3年前、長男の一が自殺した後のことでした。物語は、長谷川家の次男・薫が語り手となって進んで行きます。
「はじまりの章」 は一家の紹介。長谷川家は両親、長男の一、次男の薫、末娘のミキ、おばあちゃんの6人家族。それと一匹の飼い犬、サクラがいます。
第二章から第四章までは一の事故以前の長谷川家、一の事故と自殺が語られるのは第五章以降、物語の後半になります。一の死を境に長谷川家の様子は一変します。『さくら』は、灯が消えて今にも崩れ落ちそうな長谷川家が、時を経て、新たに再生へと向かう物語です。
長男の一(はじめ)は爽やかなイケメン、カッコ良く小学校の頃から女子の注目を独り占めするような少年です。次男の薫は、兄の一に隠れてやや大人しく控え目な男子。妹のミキは美形ですが、とんでもない乱暴者。薫とミキにとり、一は自慢で憧れの兄でした。
父親は運送会社の誘導係、チェスや読書を好む物静かで優し気な男性です。母親は陽気で、太陽のような女性。3人の孫をこよなく愛するおばあちゃんと愛犬のサクラ。おばあちゃんは物語の途中で亡くなり、サクラの登場は第三章からになります。
タイトルが示す通り、桜の花びらがきっかけで “サクラ” と名付けられた、一匹の雌犬がこの小説の主人公だと思いがちですが、私はどうもそうではないように感じます。主役は一であり、ミキなんだと。
主役の一人が一(はじめ)だと思うのは、彼の死よりもむしろ彼が事故に遭うまでの少年時代、同級生や取り巻きだけでなく、彼が長谷川家にあっても揺るぎないヒーローだった頃の姿が、いかにも鮮やかに描き出されているからです。
不幸にも一は不慮の事故に遭い、顔半分が変形し、下半身が麻痺した自分に耐えられず、20歳4ヶ月の短い生涯を自ら閉じるのですが、これは明らかに著者が仕組んだものだといえます。西加奈子は長谷川家に、家族の全員を奈落の底へ突き落す、最も惨い試練を与えたのです。
もう一人の主役、末娘のミキは男勝りで乱暴で、気に喰わない子がいると平気でグーで殴り飛ばしたりします。見た目はとびきり美人なのですが、本人はそれに気付いているのかどうか。想いを寄せる男子を、ミキはことごとく袖にします。
(サキフミさんは父・昭夫の同級生で、サキフミさんにとって昭夫は、お金を融通してくれた恩人でした。彼はオカマになって、普段はサキコと名乗っています。)
一の葬儀の日、悔みに訪れたサキフミさんがゆっくりとお辞儀をしているとき、ミキは大きな音をたてて小便を漏らします。焼香をばくばく食べたり、棺を勝手に閉めたりと好き勝手に振る舞います。見かねたサキフミさんに手を引かれ、二人は斎場を出て行くのですが、私が不意に涙ぐんだのはこのときでした。
家族の誰もが一を愛し、愛した者を失くした悲しみに茫然自失となります。父の昭夫は3年もの間家を空け、母は過食と飲酒で太り続け、薫は家を離れます。しかし、誰よりも深く悲しみ、抜け殻になったのはミキでした。ミキは、世界の誰よりも兄の一が好きだったのです。
残念ながら、サクラの印象は後回しになります。事あるごとに長谷川家の人々と絡み、特にラストでは死んだ一に代わる長谷川家の幸せの象徴として、重要な場面が用意されています。しかし、やっぱりサクラは主役ではないと思うのです。
私には、どうしてもサクラ無しではこの物語が成立しない、という特別な理由を見つけることができません。サクラは長谷川家の潤滑油として申し分のない存在ですが、他を押し退けてまで存在をアピールするような、そんな強い個性ではありません。
本来輝くべき人物たちがさらに輝きを増す、サクラはそのための脇役だと。サクラを蔑ろに思うのではありません。サクラの存在が霞むくらいに、一やミキの個性が、さらに輝いて描かれていると思うからです。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆西 加奈子
1977年イラン、テヘラン生まれ。エジプト、大阪府堺市育ち。
関西大学法学部卒業。
作品 「あおい」「きいろいゾウ」「通天閣」「円卓」「ふくわらい」「サラバ!」他
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