『なめらかで熱くて甘苦しくて』(川上弘美)_書評という名の読書感想文

『なめらかで熱くて甘苦しくて』川上 弘美 新潮文庫 2015年8月1日発行

少女の想像の中の奇妙なセックス、女の自由をいまも奪う幻の手首の紐、母の乳房から情欲を吸いだす貪欲な嬰児と、はるか千年を越えて女を口説く男たち。やがて洪水は現実から非現実へとあふれだし、「それ」を宿す人々を呑み込んでいく・・・。水/土/空気/火の四つの元素、そして世界の名をもつ魅惑的な物語がときはなつ生命の迸りと、愛し、産み、老いていく女たちの愛おしい人生。(新潮文庫解説より)

物語の構成は、こんな風になっています。
第一編「aqua」・・・(水)
第二編「terra」・・・(土)
第三編「aer」 ・・・(空気)
第四編「ignis」・・・(火)
最終編「mundus」・・・(世界) ※ タイトルは、いずれもラテン語です。

川上弘美ワールド全開の小説です。
まっとうに、つまりは何ほどの強い思いもなくのほほんと、為すがままに生きてきた私などには、到底うかがい知れぬ世界が広がっています。第三編の「aer」辺りまではまだいいのです。何とか話についてゆけます。ところが、それからあとがややこしい。

第四編の「ignis」を、まあ読んだとしましょう。やっとの思いで読み終わったと思いきや、最後に(参考「伊勢物語」)なんぞと書いてあります。伊勢物語? そりゃ、知ってる人は知ってるでしょうが、無学の私としてははなはだ理解に余ります。

慌てて「伊勢物語」の何たるかを調べてみては、再び第四編をパラパラと読み直してはみるのですが・・・、うーん、これが分かったような分からぬような、いかにも半端な気分です。

辻原登氏の解説によると、ここに登場する青木という男と「わたし」が年に一度の割で歩く、どことも知れない茶畑の中の道は、どうやら冥府へと続いている道であるらしいことが分かります。

そこは「モノ」の通り道で、伊勢物語の男女も通る古今東西に引かれた道であるというのです。現代のしがない男女でも、この道をみつけ、二人して歩けば、何だか彼らの生も光りはじめ、貴種流離の仲間ともなる - と辻原氏は言います。

みなさん、分かりますか? 「冥府」はいいですよね。黄泉の国、死後の世界のことです。「貴種流離の仲間ともなる」って、どうですか? 文脈から多少は想像できると思いますが、ざっくり言うと、立派な人の仲間入りができますよ、くらいの意味でよいと思います。

ということで、本編がややこしい分、解説に至っても難解なのです。そして、混沌さを極めるのが、最終編の「mundus」。これはもう、明らかに「神話」の世界です。川上弘美の頭の中に構築された「それ」をめぐる神の物語が、何気に、飄々と語られています。

この最終編こそ川上弘美が川上弘美であることの所以、彼女の真骨頂というべき一編であるということ - 私にも、さすがにそれくらいのことは分ります。

しかし、悔しくて情けないのですが、どこを、どんな風に伝えたら良いのかが分からないのです。「mundus」の空気感、川上弘美が伝えようとするメッセージを、正しく書き示す自信がありません。辻原氏のせいばかりにするではありませんが、氏はこんなことを言います。

主人公は「子供」と呼ばれる。「子供」の一生を家族誌の中に描き出し、カフカ、シュルツ、ディネセン、コルタサル、マルケスでもなく、独自で、だが彼らのテーマとモチーフと論理を必ず一つは共有する一編だ。

「mundus」では、「子供」が3歳の時、「それ」は豪雨とともに流されかかった橋を渡ってやってきます。辻原氏曰く、「それ」はマルケスが書いたものからすると「天使」を想起させ、ある部分の展開からはカフカの奇妙なショートストーリーに出てくる「糸巻」のような存在を髣髴させると言います。

そして最後には「私は本作に、「浄土詩編」という副題を付けてみたいという思いを禁じえない」なぞと言います。この期に及んで、私ごときに語れることなどあろうはずもないのです。頭を垂れて、只々、そうでございますかと納得するより、他になす術がないのです。

この本を読んでみてください係数 80/100


◆川上 弘美
1958年東京都生まれ。本名は山田弘美。
お茶の水女子大学理学部卒業。高校の生物科教員などを経て作家デビュー。俳人でもある。

作品 「神様」「溺レる」「蛇を踏む」「センセイの鞄」「ざらざら」「風花」「天頂より少し下って」「真鶴」「どこから行っても遠い町」他多数

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