『ビニール傘』(岸政彦)_書評という名の読書感想文

『ビニール傘』岸 政彦 新潮社 2017年1月30日発行


ビニール傘

共鳴する街の声 - 。絶望と向き合い、それでも生きようとする人に静かに寄り添う、二つの物語。第156回芥川賞候補作。気鋭の社会学者による、初の小説集! (「BOOK」データベースより)

俺たちが暮らしているのはコンビニとドンキとパチンコと一皿二貫で九十円の格安の回転寿司でできた世界で、そういうところで俺たちは百円二百円の金をちびちびと使う。

彼女は自分の傘を畳み、俺のほうに入ってくる。コンビニで買った五百円のビニール傘の、透明な膜が俺たちを包む。気がつけば小雨はほとんど止んでいたが、俺たちは一本の傘を二人で差したまま、どこまでも歩き続けた。もう少しいけば大阪港の方に出る。

二人は、最初どうやって出会ったのかもよく覚えていません。付き合ってどれくらいになるのだろう。いや、そもそも、俺はこいつと付き合っていると言えるのだろうか。その時俺は、そんなことを考えています。

実家に帰らんとあかんねん。あ、やっぱりそうなん。うん、どうしてもな、介護で。親の。お兄ちゃん、長男やねんけど、まだ独身やし、まだええかなと思ってたんやけど、転勤なるかもしれんし、帰ってきてほしいって。

大阪におってもしょうがないし。
そうか。そうやな。しゃあないな。

お互いにたいして相手の顔や性格が好きというわけでもなく、ただ何となく付き合うことになり、短い間一緒に暮らしていたとはいえ、こいつがいなくなっても何も変わらない。こうやって特に何のドラマもなく、俺はこいつとも別れることになるのだろうと思っています。

なんかちょっと、泣いたり怒ったり、お互いの好きだったところを言い合ったり、なんかちょっとそういうことをした方がいいかな。でも黙ってこのまま、今まで通り淡々と、ふつうの感じで別れてしまって、

駅の改札とかで、また来週ねっていう感じで、また会おうねと言いながら、小さくバイバイと手を振ると、彼女はそのまま駅のなかへと消えてしまった。

ああそうか、このままもう二度と会うことはないんだろうな。彼女は四国の田舎に帰って、地元のちょっと年上の、農業とか公務員とかをやっている男とふつうに結婚するんだろう。田舎は男が余っているから、若い女ならすぐに相手が見つかるだろうと思う。

この小説に書いてあるのは、ただあるがままの市井の景色、誰とも知れぬ隣人の、生きる姿そのものです。他には何もありません。敢えて意味を求めず、あるいは元々意味を持たない瑣末な事々の連続で出来上がっています。

しかし、だからこそ、その「無意味な」「偶然」を「美しい」と感じることがある -著者である岸政彦氏はそんな感性の持ち主です。

※これに関しては(岸政彦著)『断片的なものの社会学』に詳しく書いてあります。いたって柔らかい読み物ですので、ぜひ一度手に取ってみてください。読むと、この小説の「意味」がとてもよくわかります。

映画やテレビで観るようなドラマは滅多と起こらない。世界とは。「生」とは。名もなき多くの人々にとり、それは往々にして侘しく、時に人恋しく、明日をも知れぬ不安を抱えた厄介な代物であるということ。それを伝えたいのだと思います。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


ビニール傘

◆岸 政彦
1967年生まれ。
大阪市立大学大学院文学研究科単位取得退学。社会学者。

作品 「同化と他者化 - 戦後沖縄の本土就職者たち」「街の人生」「断片的なものの社会学」など

関連記事

『リリース』(古谷田奈月)_書評という名の読書感想文

『リリース』古谷田 奈月 光文社 2016年10月20日初版 リリース 女性首相ミタ・ジョズ

記事を読む

『ぼぎわんが、来る』(澤村伊智)_書評という名の読書感想文

『ぼぎわんが、来る』澤村 伊智 角川ホラー文庫 2018年2月25日初版 ぼぎわんが、来る (

記事を読む

『部長と池袋』(姫野カオルコ)_書評という名の読書感想文

『部長と池袋』姫野 カオルコ 光文社文庫 2015年1月20日初版 部長と池袋 (光文社文庫)

記事を読む

『夜また夜の深い夜』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『夜また夜の深い夜』桐野 夏生 幻冬舎 2014年10月10日第一刷 夜また夜の深い夜

記事を読む

『不愉快な本の続編』(絲山秋子)_書評という名の読書感想文

『不愉快な本の続編』絲山 秋子 新潮文庫 2015年6月1日発行 不愉快な本の続編 &n

記事を読む

『本屋さんのダイアナ』(柚木麻子)_書評という名の読書感想文

『本屋さんのダイアナ』柚木 麻子 新潮文庫 2016年7月1日発行 本屋さんのダイアナ (新潮

記事を読む

『迅雷』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『迅雷』黒川 博行 双葉社 1995年5月25日第一刷 迅雷 (文春文庫)  

記事を読む

『落英』(黒川博行)_書評という名の読書感想文

『落英』黒川 博行 幻冬舎 2013年3月20日第一刷 落英   大阪府警薬

記事を読む

『八月の青い蝶』(周防柳)_書評という名の読書感想文

『八月の青い蝶』周防 柳 集英社文庫 2016年5月25日第一刷 八月の青い蝶 (集英社文庫)

記事を読む

『金賢姫全告白 いま、女として』(金賢姫)_書評という名の読書感想文

『金賢姫全告白 いま、女として』金 賢姫 文芸春秋 1991年10月1日第一刷 いま、女として

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

『愛がなんだ』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『愛がなんだ』角田 光代 角川 文庫 2018年7月30日13版

『その先の道に消える』(中村文則)_書評という名の読書感想文

『その先の道に消える』中村 文則 朝日新聞出版 2018年10月30日

『リアル鬼ごっこ』(山田悠介)_書評という名の読書感想文

『リアル鬼ごっこ』山田 悠介 幻冬舎文庫 2015年4月1日75版

『愛すること、理解すること、愛されること』(李龍徳)_書評という名の読書感想文

『愛すること、理解すること、愛されること』李 龍徳 河出書房新社 20

『電球交換士の憂鬱』(吉田篤弘)_書評という名の読書感想文

『電球交換士の憂鬱』吉田 篤弘 徳間文庫 2018年8月15日初刷

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑