『しょうがの味は熱い』(綿矢りさ)_書評という名の読書感想文
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『しょうがの味は熱い』(綿矢りさ), 作家別(わ行), 書評(さ行), 綿矢りさ
『しょうがの味は熱い』綿矢 りさ 文春文庫 2015年5月10日第一刷
結婚という言葉を使わずに、言いたいことを言うのは難しい。「私たちこれからどうするの」-いつも疲弊している絃と同棲して1年近くになる奈世。並んで横たわる2人の思考は、どんどんかけ離れてゆく。煮え切らない男と煮詰まった女。トホホと笑いながら何かが吹っ切れる、すべての迷える男女に贈る一冊。(文庫本の解説より)
絃と奈世の3年に及ぶ同棲生活を描いたのが「しょうがの味は熱い」で、それに続く、結婚するかどうかの状況を描いたのが「自然に、とてもスムーズに」です。形上は2つの中短編になっていますが、1つの作品として続けて読む方が分かり易いと思います。
今まで読んだ中では、一番〈らしくない〉小説かも知れません。主人公の奈世という女性がえらく気張っているように思えて、そこがちょっとあざとくて、素直に共感できますとは言えません。それが狙いなら仕方ないのですが、キャラクターとしては魅力半減というところです。
それにも増して、よく分からないのが絃という男です。と言うか、絃を好きな奈世の気持ちが分からない。カッコいいんだか、悪いんだか。そこそこ大きな会社に勤めるサラリーマンということだからそれなりに優秀なんでしょうが、結構ヘボいミスをやらかしたりしてバリバリ感は無いわけで、それより何より、こいつはセコくて年寄りくさい。
絃の食事は野菜中心で、味付けは薄く素材のまま、焼いた魚と蒸した野菜とパンが定番・・・なんて、そりゃいるにはいるでしょうが、彼は20代の健康な青年ですよ。普通なら晩飯にたらふく肉食って、それでも足りずに夜食が欲しくなるような年齢じゃないですか。
初めて絃の家へ来た奈世は、白雪姫に出てくる小人たちの家に迷いこんだ気分がします。ランチョンマットが何枚もきちんと戸棚にあって、毛布は男の部屋にそぐわない赤とオレンジのタータンチェック柄で、テーブルや椅子の足には小さな靴下が履かせてあります。
奈世は靴下を見て、「寒がりの四本足の動物のように」見えたとおっしゃる。絃も絃なら、奈世も奈世だわ。いつもの綿矢りさなら、ここでは絶対気の利いた皮肉の一つや二つは言うはずなのです。だって、想像するだけでぞわっと寒気がしません? 普通、ほとんどの女性はあんぐり口を開けて、言葉を失くすような場面だと思うのですが。
牛乳パックを切り開いてベランダに干し、鍋は大中小ときっちり分けて収納棚の定位置に置いて、靴は二足以上玄関に置かない。「僕は神経質すぎるかもしれない」と言う絃に対して、「私は彼の秩序の一つ一つを愛しているから」と庇ってみせて、「自分がここまで他人に合わせられる人間だと知らなかった」と奈世は自分に酔うように呟きます。
もうここまできたら「バカヤロー」と言う他、言葉がありません。偏屈でいささか付き合いづらそうな絃のどこに惚れたの? さっさと見切りをつけて、奈世には別の人を見つけて幸せになりなさいと言いたいところですが、そうは行かないのがこの小説です。
・・・・・・・・・・
「自然に、とてもスムーズに」では、一旦同棲を解消するに至る経緯とその後に展開される結婚へのアプローチが語られます。こう書くと最終的には2人がゴールインすると思われそうですが、いやいや、事はそんなに〈自然に、スムーズに〉はいかないのです。
互いが好きであることは確かなのに、何かが微妙に食い違う。奈世が擦り寄ると、絃はさり気なくそれをかわしてしまう。一緒にいるのに、もっと近づきたいと願う奈世に対して、時には一人になりたいと思う絃。2人は、互いが求める距離を正しく測れずにいます。
2人の同棲生活は、明らかに〈ぎこちない〉ものです。状況を一気に打破するためにはもはや結婚するしかないと考えた奈世は、区役所へ婚姻届を取りに行きます。花束とケーキを買い、それに2人の将来を確約する書類を添えて、彼女は絃の帰りを待ちます。
しかし、婚姻届を見た絃の表情は不自然に平静で、「なぜ、今なのか」と奈世を問い質します。様々な理屈の後で絃が言った結論は「考えとく」というものでした。なにをのんきな、という言葉を呑み込んで、無理にも承知せざるを得ない奈世です。
もはやここまで、という感じで彼女は絃の家を出て実家へ帰ります。しかし、絃と別れる気持ちなど奈世には露ほどもありません。それはそれは、未練タラタラです。未だに自分の取った唐突な行動を反省して、絃には絃の言い分があるなどと思っているのです。
絃という男、そこまで庇うだけの奴かとやっぱり私は思ってしまう。奈世ちゃん、早く目を覚ませ。奈世の父親が言うように、本当に2人が結婚したいと思うなら、とっくの昔にしているはずなのです。そんなことを知ってか知らずか、絃が奈世に会いに来るのは、別れてから3ヶ月も経った後のことです。
この本を読んでみてください係数 80/100
◆綿矢 りさ
1984年京都府京都市左京区生まれ。
早稲田大学教育学部国語国文科卒業。
作品 「インストール」「蹴りたい背中」「憤死」「勝手にふるえてろ」「夢を与える」「かわいそうだね?」「ひらいて」「大地のゲーム」など
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