『ことり』(小川洋子)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2017/03/15 『ことり』(小川洋子), 作家別(あ行), 小川洋子, 書評(か行)

『ことり』小川 洋子 朝日文庫 2016年1月30日第一刷


ことり (朝日文庫)

 

人間の言葉は話せないけれど、小鳥のさえずりを理解する兄と、兄の言葉を唯一わかる弟。二人は支えあってひっそりと生きていく。やがて兄は亡くなり、弟は「小鳥の小父さん」と人々に呼ばれて・・・。慎み深い兄弟の一生を描く、優しく切ない、著者の会心作。(朝日文庫解説より)

この小説は、平成24年度 芸術選奨文部科学大臣賞受賞作品です。

切なく、哀しい話です。しかし、飛びっきりに美しい。過剰なものがひとつもありません。豊かさとは無縁、誇るものとて何もないのですが、人はきっと(心のどこかで)こんなふうに生きれたらどんなにかいいだろう - そう感じるに違いありません。

物語の主人公は「小鳥の小父さん」と周囲の人たちから呼ばれている一人の老人です。この老人がある日、開け放たれた居間の窓辺に倒れているのを新聞の集金人が発見し、様々な人間がやって来ては遺体や遺品の始末を始めるというところから話は始まります。

ときに老人は身寄りのない一人暮らしの身の上で、死後幾日か経っており、いくらか腐敗が始まってもいます。しかし苦しんだ様子はなく、むしろ心から安堵して、ゆっくり休んでいるように見えます。

ただ一つ、集まった人たちを驚かせたのは、遺体が両腕で竹製の鳥籠を抱いていたことです。鳥籠の中では小鳥が一羽、止まり木の真ん中に大人しくとまっています。思えば、小鳥の小父さんの家に小鳥がいても何の不思議もないのですが、皆は一様にはっとします。

まるで初めて鳥というものを目にしたかのような表情を浮かべています。その鳥は、たやすく掌に隠れてしまうほどの小さな鳥で、小鳥、という以外、他にどんな付け足すべき言葉も必要としない姿をしています。(あとでわかるのですが、この鳥はメジロです)

警察官が籠を持ち上げると、小鳥は二、三度羽をバタバタさせ、また止まり木へ戻ります。やがて、チィーチィーと短い鳴き声がしたあと、不意にさえずりが響き渡ります。そこにいる全員が籠の中を見やります。

庭の隅々にまで染み渡る、澄んだ小川のような声が本当に目の前の小さな生き物から発せられているのかどうか、確かめるような思いでじっと見つめます。小鳥は、そうして鳴いていれば、いつしか死んだものがよみがえると信じているかのように長く鳴き続けます。
・・・・・・・・・・
さて、冒頭で「小鳥の小父さん」の亡くなった様子が語られた後、物語は一気に時間を遡ります。小鳥の小父さんがなぜそう呼ばれるようになったのかという経緯から始まり、さらに巻き戻して、小父さんの家族、特にお兄さんとの暮らしを中心に話が進んで行きます。

小父さんの7つ違いのお兄さんは、11歳を過ぎたあたりから自分で編み出した言語で話すようになります。それまではちゃんと言葉を覚え、字を書く練習にも取り組んでいたのですが、どういうきっかけからか、不意に意味不明の言葉を喋り出すようになります。

小父さんが物心ついた頃には、その言語は完成され、揺るぎないものになっています。つまり小父さんはお兄さんが、両親や近所のおばさんやラジオのアナウンサーが喋っている、誰でも通じるごく当たり前の言葉を口にするのを、一度も聞いたことがなかったのです。

しかし、小父さんにだけはお兄さんの言葉が分かります。どうして分かるのと訊かれても、そもそも「分かる」ということがどういうことなのかが曖昧で、小父さんにとっては、自分のすぐそばにお兄さんがいるのと同じくらいの確かさで自然と理解できるのです。
・・・・・・・・・・
お兄さんは、(おそらくは)鳥が喋るのを理解しています。小鳥のさえずりで、何を思っているかが分かるのです。お兄さんが言うことを小父さんだけが分かり、(お兄さんがいるので)小父さんもまた段々と、鳥のさえずりが分かるようになります。小鳥たちは兄弟の前で競って歌を披露し、息継ぎを惜しむくらいに一生懸命歌います。

お兄さんは週に一度、青空薬局へ出かけては棒付きキャンディー(お兄さんはそれを〈ポーポー〉と呼びます)を買い、その包み紙で鳥のブローチを作っています。道中には幼稚園があり、そこにある鳥小屋を眺めては、長い時間、鳥のさえずりを聴いています。

昼間の小父さんは金属加工会社が所有するゲストハウスの管理人として働き、夜は静かにラジオを聴いて過ごしています。やがて両親が亡くなるのですが、そのときお兄さんは29歳、小父さんは22歳になっています。

静かで、ただ穏やかなだけの日々が続きます。毎日決まった時間に起き出しては決まった食事をし、小父さんは仕事に行き、お兄さんは家にいて小父さんの帰りをいつまでも待ちます。きちんと家事をこなし、ブローチを作り、あとは庭の小鳥を眺めて過ごしています。

そして時は往き、お兄さんは52歳でその生涯を閉じます。2人はどこへも行きません。小父さんが旅行に行こうと誘っても、お兄さんは「行かない」と言います。その内、小父さんが旅行の計画を立て、それに見合った荷造りをお兄さんがするようになります。

但し、2人にとっての旅行はそこまで - それが2人にとっての旅行で、ふたつとない愉しみであったのです。小父さんが「小鳥の小父さん」と呼ばれるようになるのは、お兄さんが亡くなって、しばらく経ったあとのことになります。

 

この本を読んでみてください係数 85/100


ことり (朝日文庫)

◆小川 洋子
1962年岡山県岡山市生まれ。
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。

作品 「揚羽蝶が壊れる時」「妊娠カレンダー」「博士の愛した数式」「ブラフマンの埋葬」「海」「夜明けの縁をさ迷う人々」「ホテル・アイリス」「ミーナの行進」他多数

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