『嗤う名医』(久坂部羊)_書評という名の読書感想文

『嗤う名医』久坂部 羊 集英社文庫 2016年8月25日第一刷


嗤う名医 (集英社文庫)

脊柱管狭窄症で尿道に管を入れられ自宅で寝たきりの状態を強いられている男性は、嫁に浣腸を頼むのが憂鬱だ。あげくに嫁は看護婦や医師にわたしが痴呆だと嘘をついて嫌がらせをしている。きっと施設送りにしようと企んでいるに違いない。そんなことはさせないと叫ぶが -「寝たきりの殺意」。豊胸手術に失敗した運の悪い女を描いた「シリコン」他、現役医師による背筋が凍るミステリー全6編。(集英社文庫)

嗤う、名医?

名医であるには違いない。しかし、人を人とも思わない、権威を笠に着たいかにも嫌味な医者のことを指してそう呼んでいるのか?

名医とは名ばかりで、実は名医でも何でもないのに自分を名医と信じて疑わない、他人に「嗤われている」のを気付かないでいる医者のことを言おうとしているのか。

「嗤う」とは、「ばかにする」「あざける」という意味合いにおいて「笑う」とは別のニュアンスで使われる漢字であるらしい。この小説では、誰が誰に対して「嗤って」いるのか。タイトルだけでは(幾通りにも読めて)どうもはっきりしません。

読むと段々に分かってくるのですが、実は嗤っているのは周りからは名医と呼ばれ、また実際にも優秀な医師である物語毎の主人公であるわけですが、

では、誰の何に対して嗤っているのかと言いますと、自分に向けての自虐を込めた嗤い。いかな名医と言えども人の子、人前、ましてや患者の前では決して見せられない別の姿、言うに言えない本音や愚痴が山ほどもあるということです。

正直言うと、ミステリーと呼ぶには緩すぎて少し物足りない感じがします。もっともっとエグい話を期待して読み始めたのですが・・・・。但し、ミステリーの名を借りた「医療小説」というのなら分からぬではありません。

病気知らずの若者ならいざ知らず、(私のように)中年を過ぎたあたりの、病院通いが常になっているような御仁にはぜひ読んでほしい一冊です。なぜなら、この本を書いた当人、久坂部羊氏は作家より前に今も治療の現場に立つ現役の医師であるということ。

これは大きい。身近にある疾患や施術に関する懇切丁寧な解説。身内を亡くした遺族から言われる手前勝手な主張に対しても終始真摯な態度で臨み、何があっても笑顔を絶やさない、まるで手本のような対応であったり・・・・

普通に考えて、患者にとっての担当医師というのはいわばスーパーマンであるわけです。頭では同じ人間だと思っていても、かかる心情はまるで違います。言われるままに従順で、この先生を置いて他にないというくらいに依存し、信頼もするわけです。

だってある日突然に(実は十分なる予兆があったのですが)「狭心症」だと告げられ、三本ある冠動脈の内の三本ともに狭窄(血管が狭くなり血液が流れ難くなっている状態)が見られ、内二本の狭窄率が99%(ほぼ不通の状況)だと言われたのです。

11月も末の頃の話で、もしも放置していたらおそらく正月は冷たい体で迎えたでしょうなどと言われた日には、返す言葉もありません。しかしもう心配は要らない、治療をすれば治りますと言われ、私は生まれて初めて神と出会った気持ちになったものです。

あれから10年が過ぎました。人より20年早いと言われ、若くして死ぬのだなあと何気に思ったりもしていたのですが、その後何度もの検査と手術(正式には「経皮的冠動脈形成術」、いわゆるカテーテル手術)を繰り返し、今もこうして生かされています。

術後となれば、先生は昼夜なく病室を訪れては体調を訊いてくれます。夜の8時も過ぎてから来て、あくる朝7時前にはまたやって来る。一体先生はいつ休んでいるのか。随分痩せたようで訳を訊くと、「病院食を食べているからねぇ」などと答えます。

先生はたいして笑わないけれど、しかしいつ出会っても不機嫌ではありません。元来がポーカーフェイスなんだろうと思うのですが、それでもたまには顔色が変わるくらいに腹が立つことだってあるだろうし、羽目を外して遊びたくもなるのだろうと思うのです。

第五話になる「名医の微笑」はこれとよく似た話で、矢崎逸郎という名医が登場し、名医にあらざる、あるいは名医であるが為の「密かな遊戯」までもが、まるで実体験のようにして描き出されています。

 

この本を読んでみてください係数 80/100


嗤う名医 (集英社文庫)

 

◆久坂部 羊
1955年大阪府生まれ。
大阪大学医学部卒業。

作品 「廃用身」「悪医」「破裂」「無痛」「神の手」「第五番」他多数

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