『沈黙』(遠藤周作)_書評という名の読書感想文
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最終更新日:2017/01/30
『沈黙』(遠藤周作), 作家別(あ行), 書評(た行), 遠藤周作
『沈黙』遠藤 周作 新潮文庫 1981年10月15日発行
島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制のあくまで厳しい日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる・・・・。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける書き下ろし長編。(新潮文庫)
時々、私は思うことがあります。田舎生まれの私の家には(古いけれど)立派な仏壇があり、おまけに別の部屋には神棚まであります。しかし、生まれてこの方これ以上ないという思いを込めて、心から祈ったことがあるだろうかと。
気付いた頃からそこにあるものとして、花を添えロウソクを灯し、線香を焚き、時々は手を合わせたりします。法要があるから来いと言われれば願い寺へも出ては行くのですが、では(少なくとも私よりかは熱心だった)親父の場合はどうだったのだろうかと。
親父の人生は(息子の私がみても)何が楽しくて生きているのだろうと思うくらい質素で、慎ましやかなものでした。望む人と結ばれ、3人の子供ができたまではよかったのですが、最後に私を産んだ後の母は寝たり起きたりが続き、33歳の若さで死んでしまいます。
しばらくして親父は再婚するのですが、3人の幼子を抱え、仕事もままならない様子を見かねた親戚からの縁談で、(中にやめておけと言う人もいたにはいたようですが)おそらくはこの機会を逃すと後がないという思いで、親父は再婚を決意したのだと思います。
二人目の母は当時28歳。初婚です。普通なら、いきなり3人もの子供がいる(さしてよくも知らない)男のところへなど嫁ごうはずがありません。母には〈ちゃんとした〉理由がありました。母はてんかん症の持病があり、それがもとで行き遅れていたのです。
いっとき親父は安心もし、これでなんとか生活もなると思ったのでしょうが、ことはそう上手くは運びません。二人の姉は決して母を母とは呼ばず、必要以上に口をきこうとはしません。その内母は突然痙攣して倒れ、それは半年毎に欠かさず起こります。
結局親父は決まった職に就けず仕舞いで、世間からは尚一層の苦労を背負ったかに思われていたのだと思います。親父も辛かったし、二人の姉も辛かったろうと思います。誰より一番辛かったのは母で、母はどれほど自分の出生を呪い、怨みに思ったことでしょう。
そんな暮らしにあって、尚親父は日毎仏壇に向かって手を合わせていました。朝夕、阿弥陀如来に対し静かに手を合わせるとき、親父は何を祈っていたのでしょう。
それでも何とか家族でいられることへの感謝、あるいは人に言えない恨みのひとつも呟いていたのでしょうか。思うに、どうもそんなことではないような気がします。親父は当時田舎にいる多くの人と同様に生真面目で、無学ながら至極常識を弁えた節度ある人間でした。
しかし、先祖代々の宗派にかかる歴史的な背景や宗旨の何たるかについては、おそらくこれっぽっちも理解してなどいなかったのだと思います。親鸞聖人が何者かと問うても、何ひとつ答えることは出来なかったでしょう。
親父はそこにあるものとして佛を崇め、寺の法要にも出かけます。寺へ行けば住職のする所作に合わせて読経もしますが、だからといって、それで信徒かといえばそうではないでしょう。それはそれ、改めて問われれば真の宗教心などまるでないのだと思うのです。
この小説に登場するのは、おそらくは当時の日本の最下層にいる名もなき百姓たちです。藁を敷いて寝床とし、時に草を食み、厠がなければ所かまわず糞尿を垂れ、堪え切れない自分の口臭に気付きもしません。
無学で、その分いくらか邪気のないように見えなくもないのですが、生まれ持った防衛本能は堅牢で中々に胸襟を開こうとはしません。しかし一旦馴染めば元来はお人好しで、忠義に堅い真面目人間だともいえます。
強いか弱いかで言えば、彼らは間違いなく弱い人間です。如何ばかりかロドリゴが説く摂理を聞こうとも、私には転びに転ぶ、半端者のキチジローの心情こそがよくわかります。「強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」- そう言った司祭の言葉こそが強く印象に残ります。
杭にくくられ、波に洗われ、遂に命を落としたモキチやイチゾウの揺るぎない信念が、何を礎に形成されたのかが理解できないでいます。激しい弾圧や残忍な拷問に耐え得る確かなものの存在を、彼らは如何にして獲得したのか。
もの言わぬ異国の〈神〉をして、何があって当時の百姓らは自らの命に代えて守り通そうとしたのか。その本当のところが分からない。時代ということなのか。私には終ぞない、心根の問題か - いずれにせよ神は語らず、語らぬ神に、尚忠誠を尽くせと・・・・
この本を読んでみてください係数 85/100
◆遠藤 周作
1923年東京生まれ。96年、病没。
慶應義塾大学仏文科卒業。
作品 「白い人」「海と毒薬」「イエスの生涯」「侍」「スキャンダル」他多数
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