『あん』(ドリアン助川)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2024/01/14 『あん』(ドリアン助川), ドリアン助川, 作家別(た行), 書評(あ行)

『あん』ドリアン助川 ポプラ文庫 2015年4月15日第一刷

線路沿いから一本路地を抜けたところにある小さなどら焼き店。千太郎が日がな一日鉄板に向かう店先に、バイトの求人をみてやってきたのは70歳をすぎた手の不自由な女性・吉井徳江だった。徳江のつくるあん の旨さに舌を巻く千太郎は、彼女を雇い、店は繁盛しはじめるのだが・・・・・・・。偏見のなかに人生を閉じ込められた徳江、生きる気力を失いかけていた千太郎、ふたりはそれぞれに新しい人生に向かって歩き始める--。生命の不思議な美しさに息をのむラストシーン、いつまでも胸を去らない魂の物語。(ポプラ社解説より抜粋)

文庫の裏書には、生きる意味とはなにか、とあり、続けて、深い余韻が残る、現代の名作、とあります。第25回読書感想画中央コンクールの中学校・高等学校の部の指定図書にもなったこの本は、揺れ惑う青春期の少年少女らにぜひ読んでほしいと思う一冊です。

主人公の名は、吉井徳江。徳江は満で76歳という高齢で、彼女の指は鉤のように曲がっています。笑うと肌の下に硬い板かなにかを隠しているように右の頬が引き攣り、そのせいで左右の目の形が違って見えます。

千太郎が任されているのはどら焼き専門の店 「どら春」 で、店先に貼り出した求人広告を見てやってきたのが、いかにも頼りげない年寄りの徳江でした。いまどき安すぎる時給600円のアルバイトを自分で値切り、半分の300円でいいから雇って欲しいと言ったのでした。

千太郎は何度も断りますが、徳江はめげずにどら春に通い詰めます。時給は200円でいいと言い、「そういうことではない」 と千太郎が言い返すと、今度は自分が作った〈あん〉を持って来て、食べてみてくれと置いて帰ります。

一度はタッパーごとゴミ箱に放り入れた千太郎でしたが、義理立てにと思い直し、引き揚げた容器を開けてつまんでみたら、これが思いもよらぬ代物で、香りも甘味も奥が深く、予想外の広がりで、どら春で使っている業務用とは比較にならない旨さでした。

〈あん〉 だけ作って接客なしの時給は200円 - これで徳江はどら春で働くことになります。「接客なし」 というのは千太郎の苦肉の策で、徳江の曲がったままの指が千太郎にはどうにも気にかかり、客に対し、どうあっても徳江の指は見せたくなかったからでした。

50年ずっと 〈あん〉 を作ってきたという徳江は、それまでの千太郎のおざなりな方法をやんわりと否定しながら、小豆を丁寧に炊いていきます。茹でる前から一粒ずつを丹念に見つめ、コンロにかけてからも、その姿勢を崩そうとはしません。

〈あん〉は気持ちよ、お兄さん」 炊きあげられた小豆は綺麗で、しわがなく、ぴんと張っています。はっきりと技量に差がある仕上がりに千太郎は目を奪われ、そのうち彼はあん作りに熱中するようになります。

徳江の手でどら春の粒あんは劇的に変化し、次第に評判を呼び、売上が増えていきます。忙しくなり、売れる日には腰を伸ばす暇もなく生地を焼き続けなければなりません。しかし、千太郎は休もうとはしません。休まない、彼には彼の理由がありました。

徳江は、若い頃にらい病 (ハンセン病)  を患っています。とうの昔に完治しているのですが、指の彎曲や顔の引き攣りはどうすることもできません。それは終生消えない、後遺症でした。

改めて徳江が申告した住所を確認すると、そこはハンセン病の人たちを隔離するために作られた国の療養所がある場所だということがわかります。「天生園」 と名付けられた療養所から、徳江は毎日どら春まで通っていたのでした。

一旦は繁忙を極めたどら春でしたが、徳江に対するあらぬ誤解と噂のせいで、売上は段々と下降線をたどります。オーナーからは繰り返し徳江を辞めさせろと言われるのですが、千太郎にはそれが理不尽に思えてなりません。徳江の病気は40年も前に既に完治しており、それより何より、徳江の存在はもはや千太郎にとって欠くべからざるものになっています。徳江からどら春を辞めたいという申し出があったのは、そんな折のことでした。

※ここから先、いよいよ徳江の半生が明かされていくわけですが、その内容は聞くにはあまりに痛々しく、残酷さ故泣くより先に胸を衝かれて怯みます。彼女は14歳にして、生きながら 「生きる意味さえ見出せない」 場所へと封じ込められてしまうのでした。

彼女は静々と自らの来し方を語ります。聞いているのは千太郎と他にもう一人、ワカナちゃんというあだ名の女の子。彼女はかつてどら春の常連で、徳江に対し、直接指のことを訊ねた唯一人のお客さんでした。徳江が発病した歳より1つ上、15歳になったばかりの少女です。

この本を読んでみてください係数 85/100


◆ドリアン助川
1962年東京都生まれの神戸育ち。
早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業。

作品 明川哲也の筆名で「メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか」「花鯛」など
ドリアン助川で「バカボンのパパと読む「老子」」「ピンザの島」「多摩川物語」他多数

◇ブログランキング

いつも応援クリックありがとうございます。
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

関連記事

『哀原』(古井由吉)_書評という名の読書感想文

『哀原』古井 由吉 文芸春秋 1977年11月25日第一刷 原っぱにいたよ、風に吹かれていた、年甲斐

記事を読む

『インドラネット』(桐野夏生)_書評という名の読書感想文

『インドラネット』桐野 夏生 角川文庫 2024年7月25日 初版発行 闇のその奥へと誘う

記事を読む

『オーラの発表会』(綿矢りさ)_書評という名の読書感想文

『オーラの発表会』綿矢 りさ 集英社文庫 2024年6月25日 第1刷 綿矢りさワールド全開

記事を読む

『赤頭巾ちゃん気をつけて』(庄司薫)_書評という名の読書感想文

『赤頭巾ちゃん気をつけて』庄司 薫 中公文庫 1995年11月18日初版 女の子にもマケズ、ゲバル

記事を読む

『愛がなんだ』(角田光代)_書評という名の読書感想文

『愛がなんだ』角田 光代 角川 文庫 2018年7月30日13版 「私はただ、ずっと彼のそばにはり

記事を読む

『水を縫う』(寺地はるな)_書評という名の読書感想文

『水を縫う』寺地 はるな 集英社文庫 2023年5月25日第1刷 「そしたら僕、僕

記事を読む

『折れた竜骨(下)』(米澤穂信)_書評という名の読書感想文

『折れた竜骨(下)』米澤 穂信 東京創元社 2013年7月12日初版 後半の大きな山場は、二つあ

記事を読む

『女ともだち』(真梨幸子)_書評という名の読書感想文

『女ともだち』真梨 幸子 講談社文庫 2012年1月17日第一刷 「その事件は、実に不可解で

記事を読む

『オロロ畑でつかまえて』(荻原浩)_書評という名の読書感想文

『オロロ畑でつかまえて』 荻原 浩 集英社 1998年1月10日第一刷 萩原浩の代表作と言えば、

記事を読む

『犬婿入り』(多和田葉子)_書評という名の読書感想文

『犬婿入り』多和田 葉子 講談社文庫 1998年10月15日第一刷 多摩川べりのありふれた町の学習

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

『スナーク狩り』(宮部みゆき)_書評という名の読書感想文

『スナーク狩り』宮部 みゆき 光文社文庫プレミアム 2025年3月3

『小説 木の上の軍隊 』(平一紘)_書評という名の読書感想文

『小説 木の上の軍隊 』著 平 一紘 (脚本・監督) 原作 「木の上

『能面検事の死闘』(中山七里)_書評という名の読書感想文 

『能面検事の死闘』中山 七里 光文社文庫 2025年6月20日 初版

『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』(三國万里子)_書評という名の読書感想文

『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』三國 万里子 新潮文庫

『イエスの生涯』(遠藤周作)_書評という名の読書感想文

『イエスの生涯』遠藤 周作 新潮文庫 2022年4月20日 75刷

→もっと見る

  • 3 にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
PAGE TOP ↑