『きのうの神さま』(西川美和)_書評という名の読書感想文

公開日: : 最終更新日:2022/04/12 『きのうの神さま』(西川美和), 作家別(な行), 書評(か行), 西川美和

『きのうの神さま』西川 美和 ポプラ文庫 2012年8月5日初版


きのうの神さま (ポプラ文庫 日本文学)

ポプラ社の解説を借りると、『ゆれる』 の映画監督が 〈真実と嘘の境界〉 をテーマに人間の本性を炙り出した短編小説集で、映画『ディア・ドクター』 から生まれたもうひとつの物語、それが 『きのうの神さま』 という作品になります。

映画は次々と評判を呼び、小説は直木賞の候補にもなったと言うではないですか。そう言えば、確かに「西川美和」という名前をいつかどこかで見聞きしたような・・・・・・・。

読むと、なるほど評価の高さがよくわかります。ほどよく抑制が効いた文章で、余計なものがない分余韻が残ります。もっと早くに読んでおくべきでした。特に印象深かったのが 「1983年のほたる」という作品です。

主人公は小学校6年生の女の子で、名前はりつ子。彼女は、中学受験を目指して市内の塾へ通っています。彼女が暮らしている神和田村からは、路線バスでおよそ1時間半。バスは2時間に1本。塾が終わると、りつ子はいつも最終のバスで村まで帰って来ます。

まず、なぜ彼女がわざわざ市内の中学校へ行きたいと思っているのかという点ですが、これについては、姉の佐希子とりつ子が烈しく言い争う場面があります。

佐希子は、りつ子が塾へ行くことに反対しています。家族に余計な負担をかけると言い、行くなと言わない父親に腹を立てています。おまけに、塾へ行くということは「いかにもこんな村の人たちには付き合いきれませんよと言って回るようなもん」だと言います。

村の人たちを見下して、自分は人とは違うなどと思っていたら、そのうち村には友だちがいなくなるぞと言うのです。それに対してりつ子は、むしろ人と違うならいいけれど、たとえ市内の中学へ行ったとしても、たぶんそんなことはないのだと思っています。

それでも、人と同じは、いやだと思う。学校の友だちのことが嫌いなわけじゃない。家族のことも、村のことも。見下したりなんかしてない。たぶん。けれどこの先、全く変わりばえのしない人たちと、全く変わりばえのしない風景を見て、お姉ちゃんたちが過ごしてきた後を全く同じようにたどるのは、わたしは嫌だと思っている。わたしが人と違うところがあるとしたら、そんなことをうちの村で、うちの家で、考えているところだ。いや、でももしかしたらそれさえも、この村の誰もが考えてきたことと同じなのかも知れない。

先にひとつ結論を言います。この後、りつ子は念願だった中学校に合格し、希望通り入学することになります。しかし、それがこの小説の本題ではありません。本当に重要なのは、塾通いから入学に至るまでの間にりつ子が関わった人物にこそあります。

その一人が 「匂坂(さきさか)月夜」 という、同じ塾の同級生です。りつ子は、彼女の容姿に憧れて、密かに髪型を似せたりします。彼女は四週連続 「日曜テスト」 の一位になるほど優秀で、りつ子にすれば近づきがたい存在、話したこともありません。

二人目が、「一之瀬時男」 という路線バスの運転手です。塾のある火曜日と木曜日、りつ子が乗る最終のバスは、決まってこの一之瀬が運転手でした。いつも不愛想で、りつ子は一之瀬が苦手でした。ある日、思わぬことにりつ子はその一之瀬から声をかけられます。

一之瀬は、りつ子が塾に通っていることも市内の中学校へ進学しようとしていることも知っていました。彼は一人勝手に身の上話を始めます。姉がおり、姉はりつ子が行こうとしている中学校の元学生で、高校2年生のときにぽっくり死んだと言ったのでした。

「考えてみれば村の外の中学に行くことくらい、別に大したことでもないのかもしれないけれど、とにかく何でも新しいことをしようとする奴は、寂しくて、さっそうとしていて、おれはいいと思う」- 姉を引合いに出しながら、一之瀬はそんなことを言ったのでした。
・・・・・・・・・・・・・・
りつ子は、頭の良い子です。けれども、まだまだ小学校の6年生、あるいは中学生になったとはいえ、せいぜい12、3歳の少女です。

元々周囲の状況を疎ましく思っているくらいの子ですから、自分と同じ学校で、塾も同じ、何をするにも同じの、見るからに野暮ったい佐野さんという同級生を勝手に親友だと誤解されるのが、嫌で嫌で仕方ありません。

その一方で、りつ子は  「匂坂月夜」  に激しく憧れます。その名前のきらびやかさにさえ何かしら特別なオーラを感じ、まるでアイドルを見つめるファンのような視線で彼女を見つめています。

「一之瀬時男」 は、おそらくりつ子が直接関わる最初の 「他者」 であり、大人の男性です。彼女は、バスの運転手としての彼しか知りません。それは知っているというにはあまりにあやうい情報、しかしまた、子どもであるが故の絶対的な情報でもあります。りつ子にしてみれば、自分が乗るバスを運転している一之瀬こそ、「一之瀬時男」  その人なのでした。

その 「匂坂月夜」 を、「一之瀬時男」 を見つめる目線が、あることを契機に、がらりと変化します。

昨日まではまるで 「神さま」 のように、自分には手が届かないものだと信じていたもの、あるいは正体がわからずにひたすら怖気付いていた何ものかが、あるときを境に、実は何ほどのものでもなかったことに気付いてしまう。そんな瞬間に出合うことになります。

この本を読んでみてください係数 85/100


きのうの神さま (ポプラ文庫 日本文学)

◆西川 美和
1974年広島県広島市安佐南区生まれ。
早稲田大学第一文学部美術史学専修卒業。映画監督、脚本家。

作品 「蛇イチゴ」「ゆれる」「ユメ十夜」「ディア・ドクター」「そして父になる」「永い言い訳」他

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